街中にもいる水牛

1993-07-07

 元気ですか。S君は生まれてから一度も病気をした事がなかったのに便秘になってしまい、もう10日間も便通がないため少し元気がありませんが、私はとても元気です。

 前回の手紙は、書いているうちに話が思わぬ方向に進んでしまいましたが、今回はご注文どおりエッセイなども書いてみました。自分で書いたものは、おもしろいのかどうかなかなか分からないものですが、どんなものでしょうか。

 前回の手紙で、大使が来た時の事を書くと言ったような気がします。たいしておもしろくないかもしれませんから、簡単に書いておきます。

 ラオスの日本大使は今年の4月に交代しました。私がラオスに来たのは4月中頃ですから、私は前の大使は知りません。ヴィエンチャンでの語学研修のときに、奥さんと二人で見学に来たり(奥さんは私達と一緒にラオ語を勉強しようと思ったらしいのですが、結局1日で挫折してしまいました)、大使公邸に招かれ一緒にカラオケを歌ったり、麻雀をしたりしましたが、とても気の良いおじさんとおばさんでした。

 言われなくても出迎えくらいには行こうと思っていたのですが、前日の夜集められ、出迎えとパーティーと見送りは全員出席するようラオ側から要請されました。Mさん、Sさん、Cちゃん(23才女性。農業学校教師)の3人は大使夫妻と娘さん(アメリカ留学中。娘が来たので家族旅行のつもりだったらしいのですが)の滞在する3日間ずっとついて回るように言われました。

 プライベートのはずだったのに、ラオ側の気の入れようは大変なもので、着くとすぐにラックサムシップハー(日本の援助でやる農業開発の予定地)につれて行ったり、各村の代表が集まって陳情合戦をやってみたりと、大変な大騒ぎ。大使達は疲れに来たようなものでした。ちょうどテレビで浩宮さんの結婚式を見た後だったので、妙に皇室とダブって見えてしまいました。

 先週の土曜日は、ここから12キロほど離れた牧場に牛の注射に行きました。この牧場は、副所長のドワンチットのものです。私は連れて行かれるまで知らなかったのですが、地元のテレビ局が取材に来ていました。

 物見高いのはラオ人の常。職場の人達が皆来ていました。牛の注射は簡単に済んだのですが、私が白衣を持っていった事もあって(こちらでは誰も着ません。暑いし、第一白衣自体事務所にはありません)、それを着て牛の去勢をやるところを撮ろうということになりました。

 暑いのに白衣を着て、右手には無血去勢器、後には往診かばんを持ったカンタボンを従えて待機しました。

 牛は柵に入っているわけではないので、残りの皆で牛を押さえに行きました。牡牛ですから気も荒く、なかなかつかまりません。それでも何とか押さえ込み、合図。私の出番です。さっそうと白衣を翻し、牛に走り寄った所までは良かったのですが、私の白衣姿に驚いた牛は人を跳ね除け走り去ってしまいました。

 そうなるともう捕まりません。去勢も撮影も中止になってしまいました。

 副所長の家で皆で昼飯を食べ、雨が降り出したので昼寝をし(バイクで来ている人が多く、雨が降ると無理はしません)、夕食まで食べてから帰ってきました。

 来週の15日は定期健康診断とミーティングのため、サバナケットの隊員全員でヴィエンチャンに行きます。健康診断は、タイのウドンタニというところに行くそうです。それから24日まで隊員総会などがあります。その後、せっかくヴィエンチャンまで行くので、S君とシェンカンのNのところに遊びに行き、30日頃サバナケットに戻る事にしました。

 その間、手紙の届く間隔があいてしまうかもしれませんが、一度くらいは電話できると思います。

 そういえば、建造から手紙があり、新潟の家で男手が必要なときはいつでも電話してくれとの事でした。ありがたい事です。

 それではまた。お元気で。

 

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