てがみ 昔々ある所で誰が始めたか知らないが、古来人間は、離れた相手と意思を通じ合う手段として手紙を用いてきた。悲しい事、嬉しい事、怒りの気持ち、恋心。様々な思いを手紙に託し、相手に伝えてきた。 それが電報になり、電話になり、ファックスができ、今では地球の裏側の人とも話す事ができるようになった。日本では電話のない家は少ないだろうし、一歩外に出ればすぐに公衆電話が目に入る。ほんの少し歩いていけば直接相手と話す事ができるのに、つい電話を使って話す事さえある。 大変便利になった反面、同時性や便利さを追求するあまり、手紙にはあった何かを切り捨てているような気がする。 私が協力隊員として暮らしているラオスのサバナケットという小さな町では、電話機自体を見かける事は少なく、まして日常生活で使う事などない。電話局から日本に国際電話をかけられない事もないらしいのだが、非常に通話状態が悪く、下手すると何時間も待たされて結局つながらないという事もあるらしい。家族のものにも、電話で連絡するのは無理だと伝えてある。そうなると、残された連絡手段は手紙という事になる。 私はこちらに来て、初めて手紙をもらううれしさを知ったような気がする。長い手紙や短い手紙、絵葉書や写真入の手紙。下手な字なら下手な字なりに、短い文なら短い文なりに、その人の人柄が現れていて、読み終わると電話にはない余韻のようなものが感じられる。しばらくの間、その人のことを考えたりもする。親しい人からの手紙が嬉しいのはもちろんだが、思いがけない人から来る手紙も良いものだ。 先月、モルジブに卓球隊員(もちろん、卓球を教えに行く。協力隊ではこのように○○隊員と呼ぶ。ひらがながかわいい、きのこ隊員という人もいる)として派遣された、同期の女性から手紙をもらった。 彼女の事を知らなかったわけではないが、3ヵ月の訓練期間中、2・3度しか話した事がなかったので少し驚いた。何事かと思い手紙を読むと、現地の先輩隊員が飼っているネコの下痢がもう1ヶ月も続いており、何とかしてやりたいがモルジブには獣医がいないので、獣医である私に相談してきたのだった。 偶然その猫の名前が、私が日本で飼っている猫の名前と同じだった事もあり、何か他人事のように思えず、さっそく考えられる病名と手当ての方法を書き送った。直接診察したわけではないのでなんとなく不安が残り、その猫のことがずっと気にかかっていた。 1ヶ月ほどした夕方、彼女からの手紙が届いた。急いで封を切ると、元気そうな猫の写真が出てきた。手紙の指示通り手当をしたら下痢も止まり、今ではすっかり元気になったとの事だった。私は安堵の胸をなでおろし、手紙を机の上に置き、街に祝杯をあげに出かけた。 めでたし、めでたし。
●これはラオスにいた最初の頃に書いたものです。携帯電話について触れていないところをみると、まだ普及していなかったのですね。 2年前にサバナケットに行ったとき、町にカード電話の公衆電話ボックスができていて、簡単に国際電話がかけられたので驚きました。日本の援助でできたそうです。ところが、外貨の欲しいラオ政府は、そのできたばかりの電話網を持つ電話局をそっくりそのままタイの民間企業に売り渡したと聞き、あきれてしまいました。
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1993-07-07