街中にいる馬

1993-07-13

 元気ですか。さすがに雨季というだけあって、今日も昨日も雨が降り続いています。今日はしとしと降る小雨ですが、昨日の午前中はバケツの底が抜けたような土砂降りで、とても外を歩けるような状態ではなくホテルにいました。

 街に下水設備がないので、こんなに雨が降って大丈夫かなと思いましたが、そこは良くしたもので、舗装道路が少ないのでちゃんと地面が吸い込んでくれるようです。これが東京なら街中土を見ることが少ないくらいに舗装されていますから、水が溢れて大変でしょう。ラオスはラオスなりにバランスが保たれているのかもしれません。

 援助とか開発も確かに必要なのでしょうが、急に新しいものだけを持ってくると、このバランスを崩してしまうだけなのかもしれません。来年にはヴィエンチャンの近くに、メコン川で始めての橋が掛かります。これができると、今まで以上にタイの文化がダイレクトに入ってくる事になるでしょう。

 タイから入ってくる消費文化に、この国の人達はどう対処していくのでしょうか。ただでさえ産業が少なく、大学を出ても1人か2人しか仕事につけない状態で、現金収入の少ない国なのです。どこの一家にも1人か2人いる、外国に移民した親戚からの送金に頼って生きているような国なのです。

 うまく立ち回ってお金を稼いでいるのは、中国人かベトナム人です。街中の商店のほとんどがこの両国人のものです。今以上に貧富の差が開いていくのは確かでしょう。のんびり屋のラオ人は、どう考えても富ではなく貧のほうに入ってしまうことでしょう。「働かざるもの食うべからず」という原則に従うと、どうもラオ人に歩はなさそうです。

 でも私はこののんびりとして貧しさを気にしないラオ人が、だんだん好きになってきました。橋ができてこの国が変わってしまう前に来る事ができて良かったと思っています。

 この前Mさんが酔った時に言っていました。「ラオ人は何であせらないんですかね。こんなに毎日、テレビでタイの進んだ文化を見せ付けられて悔しくないんですかね。明らかに自分の国のほうが遅れているのに、何で毎日あんなに自信満々でいられるんでしょうかね。」

 私には分かるような気がします。ラオ人の強さは、持たない者の強さなのです。

 先月も丸1日停電がありましたが、人々はあまり困った様子もなく街も平常通りに動いていました。日本のようにあまりにも機械文明に頼りきった生活の方が異常なのかもしれません。

 それともうひとつは、「生きてるだけで丸儲け」の精神です。今だに田舎に行くと、たとえ12人子供ができても大人になるのは4人くらいという国なのです。その中を生き残ってきた人々なのですから、今生きているというだけで人生の勝利者であり、いつも自信を持って生きているのも当然かもしれません。

 実際、体の作りは華奢そうですが本当に丈夫な人達です。下痢も日常のことなので、「1日10回以上トイレに行かなければ下痢とは言えない」などと言いますし、マラリアは当たり前。38度や39度くらいの熱はいつもの事で、平気な顔で職場に来ます。ここにいると病気というものが、あまりに日常的な事のように思えてきます。

 日本という文明社会からやってきたひ弱な私は、そんな彼らをうらやましく思いながらも、同じようにやっていたら病気になってしまうと思い恐れるのでした。

 ラオスに来て3ヶ月。ラオ人の真似をして、雨が降ったので仕事を休み、外の雨を眺めながら考えていました。

 先週の金曜と土曜は、ここから10kmほど北に行った所にあるパーパオという公園に、鹿の往診に行ってきましした。ここは釣堀もある自然公園になっており、最近動物園のような事も始めたのです。

 動物はキツネ、ワニ、サル、ハリネズミ、クマ、オウム、ヤマネコなど、ラオスにいる動物ばかり。それも子供ばかりです。それらの動物が、10個くらいある檻に入れられていました。鹿を4頭、田舎の方で捕まえてきたのですが、トラックで運んでくる途中に一頭は転落して死に、1頭は股関節を脱臼して動けなくなったというのですから乱暴な話です。

 その脱臼した鹿を診に行ったのですが、連れて来られたのはもう3日前との事。診るとすっかり筋肉が落ちてしまっています。こうなるともう無理です。一応痛みと炎症を押さえる処置をしましたが、4本足で歩けるようになるのは難しいと思いました。どうせ診せるなら、もっと早く診せてくれれば良いのにと、この時ばかりはこちらののんびりしたペースに腹が立ちました。

 前の手紙に書きましたが、今週の木曜日はいよいよヴィエンチャン行きです。この街に比べればヴィエンチャンは都会。健康診断に行くタイのウドンタニーはさらに都会です。(それでもタイのガイドブックにも載っていないような田舎町ですが)

 手紙の始めの方で文明とか消費経済をバカにしておきながら、やはり心が浮き立ってしまうのを押さえようがありません。ヴィエンチャンでは何を食べようかとか、ウドンタニーでは何を買おうかとか考えてしまいます。やはり私は街中でしか生きられない人間なのでしょうか。

 このサバナケットにも一応色々なお店があるのですが、とにかくバリエーションがないというか、どこに行っても同じような物しかないのです。ですからおもしろい事に、お金持ちの家に行っても(よっぽどお金持ちで、注文家具とか輸入家具にしない限り)、他の家と同じソファーや机しかないということが起こります。普通に売っているのはそのソファーだけしかないので、選びようがないのです。(反面、それも差がなくて良いかなと思ってしまいますが)全てのものに対して同じことが言えます。

 特に何が欲しいとか、何が買いたいとか具体的にあるわけではないのですが、物が豊富にあるところに行くという事だけで嬉しくなってしまうものなのですね。何もない田舎でこつこつ一人で暮らすなんて事は、私にはできそうにありません。所詮私は町育ちのひ弱な人間だったようです。今はとにかく、ヴィエンチャンに行く事が、楽しみでなりません。始めてヴィエンチャンに着いた時には、なんて田舎町なんだと思ったのに、サバナケットにいるとヴィエンチャンが都会に思えてしまいます。

 シェンカンにも旅行に行きますので、2週間ほどサバナケットを離れる事になります。ヴィエンチャンでは、事務所の2階で寮生活のようになりますので、落ち着いて手紙を書く暇があるかどうか分かりません。(最も、今いるセンサバイホテルも男子寮のようですが)

 葉書くらいは出しますし、電話もできると思います。

 今回はこのへんで。お元気で。

 

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