最後のバーシーの準備

1995-03-08

 元気ですか。

 手紙と写真、届きました。まだ新潟は寒そうですね。こちらも季節の変わり目らしく、涼しい日が何日か続くと、暑い日が続くという気候です。でも、どちらにしても半袖で過ごせるのですから、日本とは大違いです。ラオスでは4・5月が一番暑い季節です。その季節になる前に、帰国することになるわけです。

 ところで、本当に何が起こるか分からないものですね。今、この手紙は、右目一つで書いているのです。左目の瞼は腫れあがり、左目はほとんど開けることができません。実は、昨日昼寝をしていた時に、蟻に瞼を噛まれてしまったのです。瞼は腫れあがり、左目の視界は3分の1くらいになってしまいました。幸い痛いわけではなく、少し痒い程度なので助かりますが、大変不便です。

 本当は昨夜、農林局に勤めているミットサワイという太ったおばちゃん(先々週の、カセムさん−バングラディッシュ人の専門家−の家族が帰国する時の送別バーシーでの、私の飲み方が気に入ったらしく、最近とても気に入られています。飲みに誘う時、私の手を握りながら『来てね』と言うので困ってしまいます。と言ってもけして怪しい誘いではなく、宴会へのお招きなのですが…)の家でのブンフアン(ホームパーティー)に行く予定だったのですがそれにも行かず、今日やる予定だった犬の避妊手術も、来週にしてもらいました。

 ちょっと恥ずかしい話ですが、以前蟻に股間を噛まれた事もありました。この時もかなり腫れあがりましたが、3日ほどで治りました。今回も、ただ腫れが引くのを待つしかないでしょう。まるで試合後のボクサーのような顔になり、面白いので写真まで撮ってしまいました。

 ところで、先週の金曜日、牛の難産がありました。前足2本が出たっきりで、それ以上出てこないというのです。スパサイ、ドンチャイ、クーケオと4人で、すぐに診に行きました。

 行ってみると、前足2本はもう蒼白になっており、脈動もありません。胎児はすでに死んでいたのです。手を入れて探ると、胎児の頭は後方に捻じ曲がり、頭が骨盤に引っかかっていました。こういう場合、一度胎児を子宮内に押し戻し、頭を正しい位置に戻してから出すしかありません。

 皆でかわるがわるにやってみましたが、いくら押しても胎児はびくとも動きません。こうなったら、子宮内で胎児の首を切断して出すしかありません。幸い事務所の倉庫に、こういう時のための特殊器具(線鋸というワイヤー状の鋸を使うための器具)があったことを思いだし、それを使って胎児の頭部を切断し、取り出すことができました。

 これで母牛は大丈夫です。飼い主も喜んで、私達にビールを振舞ってくれました。私も久しぶりに充実感を覚え、ご機嫌でした。

 ところが、次の日行ってみると母牛がいないのです。飼い主に聞くと、「元気になったので、元気なうちに売ってしまったよ」と言うのです。本当にラオ人というのはこういう時合理的というか、ドライなところがあります。今までも、これと同じようなことがたびたびありました。牛が病気になり、治療に行き、少し良くなりだした3日目くらいに行くとすでに売られていたということが何度かあったのです。

 日本と違って、牛は食べるためのものと割り切っているからなのでしょうか。それとも、一頭一頭手をかけて飼っているのではなく、放し飼いにしているからなのでしょうか。なんだか治療のしがいがないような気がして、がっかりしてしまいました。

 ところで3月も第3週となり、そろそろ荷物の整理や部屋の片付けを始めています。2年も暮らすと結構ガラクタがたまるものですが、いらないものは職場に持って行くと引き取り手がすぐ決まるので、無駄になるということはありません。

 洋服はサイズがあるので、どうしても太りぎみのパンシーやドンチャイにあげられるものはなく、2人は少し不満そうです。一番得しているのは、カンタボンです。サイズがあまり違わないので、JOCVで支給されたスーツまであげてしまいました。

 今月の31日に、ホテルでパーティーをやることも、ほぼ決定しました。以前、事務書が間違えて送ってきたお金を元にパーティーをやるなどと書きましたが、結局そのお金は事務所に送り返すことにしました。しかし、皆が楽しみにしているパーティーをいまさら中止にすることもできず、結局自費でパーティーをやることになったのです。職場の人達だけではなく、ベトナム料理屋のおばちゃんや、カオピヤック屋のお姉ちゃんやおばあちゃんも誘うことにしました。

 自費といっても、30人来ても300ドルくらいでできるのですから、安いものです。今までのお礼という意味で皆を招待するのですから、自費の方が気持ちもすっきりします。(と、少し強がりを言っています。300ドルといえば、現在の1ヶ月分の手当です)

 皆今から大変楽しみにしていますが、あまり中華料理は食べたことがなく、ホテルで食事などしたことがない人が多いので、口にあうかどうかすこし心配もしています。31日にこのパーティーをやり、4月1日にヴィエンチャンに行く予定です。

 この手紙を書き始めたのは月曜日だったのに、今日はもう水曜日、目の腫れもすっかり良くなりました。間に合うかどうか心配していた犬の臨床の本も、スパサイが熱心に手伝ってくれたおかげで下訳が完成しました。これからこれをパソコンに入れ、編集し、コピーし、製本しなければいけないのですが、少し気分的に楽になりました。

 日本語の最終レポートも書き終わりましたし、ラオ語のレポートもスパサイに書いてもらいました。副所長のおかげで、狂犬病レポートのラオ語訳までできそうです。少しずつ帰る準備ができつつあります。

 それではまた、お元気で。 

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