最期のバーシー

1995-03-19

元気ですか。

 この町にいるのも後2週間をきり、秒読み体制になってきました。先週から今週にかけてお客様が続き、その接待で少し疲れ気味です。

 サバナケットにいる5人のうち、今バイクを持っているのは私とOさんの2人だけです。Oさんはセンサバイではなく、他のところに住んでいますから、どうしても私が見送りや観光のお世話係という事になってしまいます。(観光と言っても町から15km程にある、タートイハンという塔か、小さな動物園くらいしか見るところはありませんから、そこに行くくらいですが)

 幸い仕事の方は、犬の臨床の本を残して他は全て終了しました。この本は、うちの課のパソコンが壊れたこともあって、難航していました。結局、Oさんの仕事を手伝っているスッサイチャイ(ミスサバナケット)に頼んで打ち込んでもらうことにしましたので、少し安心できましたが、この打ち込みが終わるまで特にやることはなく、暇と言えば暇なのです。

 それにしても、よく人が来たものです。最初に来たのは、シェンカンの看護婦のHさん。小柄ですが、とても元気な関西弁のお姉ちゃんです。

 次に来たのがT君。ラオ人の彼女を連れて、突然やって来ました。ヴィエンチャンからサバナケットの北隣のタケ−クに行き、そこからまたバスでやって来たのです。

 このT君という人は、なんというかとてもついていない人で、ラオスに来てから、落としたり盗まれたりで、もう30万円近く損をしているといううわさのある人です。タケ−クでも、刑務所の壁を写真に撮ったために捕まり、タケ−ク在住の専門家Oさんが来てくれなかったら危うく本人が刑務所に入るところだったそうです。

 彼は私と同期ですから、もうすぐ帰国することになります。そんな時になって彼女をつくるなんて、今後どうするつもりなのでしょう。彼の方は帰国してしまうから良いでしょうが、彼女の方はうわさ好きのラオ人の格好の餌になるのは目に見えています。

 人事だと思いながらも、つい彼のこととなると筆が滑りすぎてしまいます。端から見ていて、なんだか危なっかしいところがあるからなのかもしれません。もっとも、二人にとっては、余計なお世話なのでしょうが…。

《まったく余計なお世話でした。二人はその後結婚し、日本で暮らしています》

 その二人が帰って、入れ替わりにやってきたのは、協力隊OBで、ヴィエンチャンの焼き飯屋のお姉さんと結婚したMさんです。Mさんは、水源調査の仕事で、今UNで働いています。この仕事も、任期が1年くらいしかないので、出張のついでに職探しも兼ねてやって来たのです。UNの仕事で、何処の国でもというなら職もあるのでしょうが、ラオスでとなるとなかなか難しいのかもしれません。

 そのMさんに1日遅れて、パクセーのHさんがラオ人のカウンターパートと伴にやって来ました。Hさんは昨年の春、獣医学部を卒業したばかりで、私の大学の後輩にあたります。彼女は去年の12月に赴任したばかり、任地に赴任してから3ヶ月経っていないので、本来なら国内旅行はできないのですが、出張扱いにしてもらい、ラオ人の同僚と一緒にバスに揺られて、私の職場を見学に来たのです。

 彼女は協力隊員には珍しく、口数の少ないおとなしいタイプです。まだラオスにも慣れておらず、大学出たてで職場経験もない事もあって、私が何を説明しても、いわゆる尊敬のまなざしで見てくれるので、大変戸惑ってしまいました。

 仕事に対して燃えているようで、パクセーの農学校に教えに行くことも決まり、狂犬病の調査もやってみたいと言っていました。

 その彼女達も今朝のバスでパクセーに帰り、今度は22日に元サバナケット隊員のSさんが遊びに来る予定です。彼女の場合、ここに住んでいたのですから今更観光でもなく、案内する必要はないので気は楽です。

 なんだか本当に、バタバタと日々が過ぎてしまいます。25日には送別のバーシーがあり、30日にはパーティーをやって、31日にはヴィエンチャンに行くことになるのですから、残りの日もあっという間に過ぎることでしょう。

 ヴィエンチャンに行ってからも、31日の夜は事務所主催の食事会、2日は門番のポワンさん宅でのバーシー、3日は各省庁への挨拶回り、4日は隊員による送別会と予定がめじろ押しなのです。

 その隙を縫って、今作っている本も完成させなければいけません。今日もこれから農林局に行き、Oさんに鍵を開けてもらってパソコンで編集を始める予定です。

 こうバタバタしていると、帰るという実感がなかなか湧いてきません。まあその方が、私らしいと言えば言えるのですが…。

 それではまた、お元気で。

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