町で一番大きい薬屋

1995-02-16

 元気ですか。

 この一週間ずいぶん暑くなり、こちらはすっかり半袖の季節になりました。昨夜は1年ぶりに、羽虫が大発生していました。夕食に行く時につい部屋の電気を付けたままにしたため、帰ってみると網戸の隙間から入りこんだ虫が部屋中を飛び回っていました。

 こうなると部屋の電気を消し、ドアを開け、虫が出て行くのを待つしかありません。不思議なことにこの虫は、突然発生して1時間ほどするとまた突然いなくなってしまうのです。ですから発生しても、ただ通り過ぎるのを待てば良いのです。別に刺したりするわけではないので特別被害はないのですが、服の中に入られたりすると困ってしまいます。

 センサバイに良くやって来るヤモリ君達も大活躍でしたが、何しろ数が多いので食べきれるわけはなく、少しもてあまし気味でした。蛍光灯に群がる虫達とヤモリ君達を見ていると、生命の密度が濃い国なのだななどと思ってしまいます。

 こう書くととても冷静だったようですが、本当は羽虫が飛び回っている間はそんなに落ち着いていたわけではなく、このまま一晩中飛び回っていたらどうしようかなどと思ってもいたのです。でも案ずることなく、昨夜も1時間ほどで羽虫はいなくなりました。来た時と同じように突然全部が去って行ったのです。

 先日銀行に、いきなり事務所から500ドルの振込がありました。1年に4回ある支援経費の振込ということなのですが、確か私が申請したのは専門用語集の紙代50ドルだったのです。10倍も入っていたので、驚いてしまいました。

 落ち着いて考えてみると、差額の450ドルは、ラオスで買えない器具を日本から送ってもらう分だったのです。その器具というのは、子牛が体内で死亡した時に、外に取り出すために裁断する時に使う線鋸という特別なものです。とてもラオスでは手に入らないと思い、頼んでおいたのです。

 この450ドルをそのままポケットに入れ、適当にラオ語で領収書を書けばそれはそれで問題になる事はないでしょう。職場の人達も、線鋸を頼んだことなんて忘れていますし、協力隊事務所の日本人職員や、日本本部の会計係の人がラオ語を読めるとは思えません。

 一瞬そんな悪い考えが浮かびましたが、そうもいかず、ドンチャイやスパサイに相談しました。すると線鋸はタイでも買え、しかも日本から送ってもらうより安いと言うのです。(オイオイ、前に聞いた時は買えないって言っただろ。だからわざわざ書類を書いて申請したのに…)結局線居はこちらで購入し、余るはずのの200ドルで、来月末私の送別パーティーを大々的にやろうということに決まってしまいました。

 ヴィエンチャン事務所にしても、いまさら間違いだったと言われても年度替りのこの時期に困ってしまうでしょうし、なんだか落語の『三方一両得』みたいな話になってしまいました。でもこれってひょっとすると公金横領なのではないでしょうか…。でも、皆「来月はホテルでパーティーだ」と言って盛り上がっているし、目的の器具も手に入るのだから。まあ良いか…。

 《結局このお金は正直に事務所に返しました》

 さて残すところ後1ヶ月半となりましたが、最後の仕事だと思っている犬の臨床の本は遅々として進まず、多少焦り気味ではあります。

 それはそれとして、この時期になると回りの人達も、私が帰国することを実感してきたらしく、色々な事を言ってきます。カンタボンは、私の持っているウォークマンをねだりに来ますし、逆にスパサイはお土産だと言って鳥うち用のボウガン(竹の矢を飛ばす手弓)をくれました。

 ドンチャイは、どうやら私が帰った後、自宅で獣医を開業しようとしているらしく、急に色々なことを聞いてくるようになりました。ドンチャイはもう45才なのに公務員の枠があかず、なかなか正式な職員になれません。子供を中国人学校にやっているので(中国人学校は優秀なので、ラオ人でもお金に余裕があるか、教育熱心な人は、子供を中国人学校にやります)、お金持ちの中国人の友人が多く、その人達に開業することをそそのかされたようなのです。

 ラオスでは、ヴィエンチャンに一軒だけ開業獣医がありますが、そこは各国の大使館関係者のペットを診ているから経営が成り立っているのであって、サバナケットで獣医を開業するのはまだ早すぎるのではないかと心配です。

 ドンチャイは、昔は農業学校の先生でスパサイの先生だったこともあるくらいですから(その割に実際の診療は心もとないのですが)、正式な職員になれずにいるのが嫌なのかもしれません。日本と違ってそれほど設備にお金が掛かるわけではなく、奥さんは看護婦として病院で働いているのですから、あまり収入がなくてもやっていけるかもしれません。

 ところでカンタボンですが、結婚当初は別居生活で週2回しか奥さんと会えず、奥さんと会った翌日は仕事にも来ませんでした。でも、最近奥さんが市内に転勤になったので行きも帰りも一緒、まじめに職場に来るようになりました。子作りに励んでいるらしく、時々とても眠そうです。

 女の子ができた時の為に、日本風の名前を考えてくれと言うので、住所録に書いてある女性の名前を順番に読んでいったら、ケイコという名前が気に入りました。カンタボンに将来できる女の子の名前は、ケイコに決定しました。

 サバナケットにいるのも後6週間くらいです。きっと手紙も後5・6通書くことになるでしょう。それにしても良く書いたものです。

 それではまた、お元気で。

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