機材申請した器具

1995-02-08

 元気ですか。

 1日中爆竹が鳴っていた中国正月も終わりました。ベトナム料理屋もタラートイェンも、昨年は正月の間1日くらいしか休まなかったと思うのですが、今年は5日近くも休みでした。少し生活に余裕が出てきたのかもしれません。

 おかげで外食中心の私達は困ってしまい、いつも行くこの2店より少し高めの店をまるでジプシーのように回ったり、備蓄してあった日本食を食べたりしていました。

 気候の方は、もう寒い時期は過ぎたのかと思っていたのにこの1週間急に冷え込み、一度片付けた毛布をまた引っ張り出してこなければなりませんでした。気候が変わると動物も病気になるらしく、何頭か風邪引きの犬を治療しました。今も昼休みに部屋で昼寝をしていたら御呼びが掛かり、4km地点まで往診に行ってきたところです。

 

 丸谷才一の本に『男のポケット』という本がありました。こちらでは薄着ですから、普段着ている服にそんなに多くのポケットはなく、入っている物といえば、財布、バンダナ、鍵、タバコ、ライターくらいのものです。

 その代わり普段持ち歩いているカバンは、まるでドラエモンのポケットのようです。こちらに来る時友人から貰ったサムソナイトの機内持込用カバンなのですが、前面にポケットが二つ、背面にも大きなポケットが一つあり、とても重宝しています。メインのファスナーが壊れ、一度は新しい物に取り替えようかとも思ったのですが、市場に行って似たようなファスナーを買ってきて自分で直しました。

 今その中に入っている物といえば、英語の辞書、ラオ語の辞書、当直医マニュアル、JICA手帳。これはメインのポケットに入っているもので、往診の時にはここに注射ケースを入れます。背面のポケットには聴診器、単語ノート、メモ帳、ペン、ゴム手袋、ディスポの注射器、針、電卓、便箋など、前面の二つのポケットには、薬各種、バンドエイド、消毒薬、ティッシュ、体温計、アルコール綿、そしてなぜか爪やすりが入っています。(アンプルカッターの代わりです)

 いつも往診カバンを持ち歩いているようなものです。別に普段持って歩かなくても良いようなものですが、やはり持っていると安心します。常にごちゃごちゃと色々な物をもって歩くというのは、妙に安心感を与えるものです。

 そういえば昔八戸で一緒に芝居をやっていたクマちゃんという人は、常にウエストバッグをつけており、その中に色々な工具を入れていました。ドライバーやら、ハサミやら、ペンチやら、カッターやら…。周りの人達にとっては大変便利でした。

 その頃やった芝居『トムソーヤ』の主人公も、色々な物を常にポケットに入れていたようです。ビー玉やら、ビンの蓋やら、ヤモリの干からびたのやら…。

 昔読んだ江戸川乱歩の書いた少年探偵団の小林君は、常に懐中電灯やらロープなどの七つ道具を持ち歩いていました。それに影響されて、私も小学校に懐中電灯などを持っていった覚えがあります。最も一度も使うチャンスはありませんでしたが…。

 フランス外人部隊あがりの作家、柘植何とかという人はビル火災などの災害に備えて、常にロープとガスマスクを持ち歩いているそうです。でもここまでいくと、つい、『そんなに命が惜しいのか』などと皮肉の一つも言ってみたくなります。

 うちの奥さんも昔からいつも大きなバッグを持ち歩いていて、時々思いも掛けない物を取り出したりするので驚かされた覚えがあります。

 男のポケット女のバッグ。これはなかなか良い勝負なのではないかと一人納得したところで、この話は終わります。

 

 狂犬病のレポートも完成し、ついでに英訳までできてしまいました。今度はこれを専門誌に送ってみようかと思いつき、応募要項どおりに書き改めました。送る前に一応事務所に言った方法が良いかなと思い連絡したら、事務所長のKさんから少し注文がついてしまいました。

 ワクチン工場の現状(93年に国連の援助が打ち切りになり、経営が苦しくなっていること。ここがつぶれたら国内で動物用ワクチンを製造できなくなくことなど)に対する獣医局の考えを盛り込んだ方が良いのではないかと言うのです。

 確かに協力隊員の報告書としてならそういうものも必要でしょうが、学術誌に投稿するにあたって、狂犬病の実態以外の部分を多く書くのは、かえって焦点をあいまいにする恐れがあると判断し、あえて削った部分だったのです。

 投稿するのを3ヶ月待ち、協力隊と縁が切れてからにすれば良いとも思うのですが、なんとなくそれでは義理が立たないような気もしているのです。

 隊員が雑誌などに投稿する場合、事務所を通さなければならないという規則があるのです。このところ何回か、元協力隊員という人が協力隊を批判するような記事を書き、雑誌に載ったりしたので、事務所の方も少し神経質になっている面もあります。

 こういう時ヴィエンチャン隊員ならすぐ事務所に行き、Kさんと話すこともできるのでしょうが、離れているだけにもどかしいものがあります。さっそく今から、手紙を書くことにします。

 次回の手紙を書く頃にはそれなりに決着がついていると思います。

 それではまた、お元気で。

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