中国正月の仮装
1995-01-30
元気ですか。 明日は中国正月。またあの爆竹の1日がやってきます。気の早い人は待ちきれず、もう今から爆竹を鳴らしたりしています。正月の間、中国系のお店は休むところが多いので、外食ばかりしている私は少し困ってしまいます。 考えてみると、この2年近く毎日外食ばかりで、よく飽きなかったものです。ベトナム料理屋とタラートイェン(近くの教会前広場のテントで営業している中華料理屋)に1日おきに行くのが基本的な夕食のパターンでした。 最近のお気に入りはタラートイェンのカイチオランナーです。これは、トマトや肉、玉葱の入った大きなオムレツを、ご飯の上に乗っけた物です。これにこちらの醤油とチェオ(酢の中に刻んだ唐辛子を入れたもの)を掛けて食べるのですが、大変おいしく、単純なだけに飽きません。日本で言えば玉子丼といったところです。なぜかこれにはこちらの醤油がよく合い、結構大盛りにもかかわらずペロリと食べてしまいます。 最近できたばかりの川沿いのレストランにも何度か行きましたが、ここもなかなかのものです。川沿に張り出したテラスに机と椅子が置いてあり、そこでメコン川に沈む夕日を見ながら食事することができます。周りにある建物も、その店の周りだけはフランス式の物が多く、とてもラオスとは思えません。 この店の串焼きバーベキューはなかなかの物です。炭火で焼いた柔らかい牛肉、プチトマト、玉葱…。焼き立てをほうばると、口の中に肉汁が広がります。 鳥の唐揚げも、外側のカラリと揚がった皮の中に十分に味のある身が詰まっています。こちらの鳥ですから、もちろんブロイラーなどではありません。ケンタッキーなど足元にも及ばないおいしさです。 そしてなんと言っても嬉しいのは、この店ではサバが食べられることです。市場には売っていませんから、きっとタイから輸入しているのでしょう。やっぱり魚は海です。川魚のような泥臭さがありません。 これらを肴にビールを飲み、夕日を眺める気分の良さといったら、とても言葉にはできません。 そのほかに、近くのステーキ屋の鹿肉ステーキ、タイ式すき焼き、ジンギスカン風焼肉の店など、結構おいしい物もあるのですが、いかんせんこれらの店は普段行く店の倍から3倍くらいの値段です。結局ベトナム料理屋とタラートイェンに交互に行くのが夕食の基本になってしまいます。でもそのどちらの店も大変おいしく、2年近く通ってもそれほど飽きないのですからたいしたものです。 さて、先週の水曜日のサバナケットに戻ってきて、集めてきたデータを入れて、狂犬病のレポートは完成しました。 ラオスの動物用ワクチン工場は、93年まではUNDPの援助が入っていましたが、93年12月に打ち切りになり、今は政府から日本円にして年間20万円ほどの援助があるだけです。それなのに政府の政策により、原価より安い価格で各県にワクチンを送っているのですから、毎年赤字が増えるのは当然です。そのためなのか、93年より94年の方が、犬へのワクチン接種数は減っています。 しかし、人々の狂犬病に対する知識は徐々に広がっているらしく、犬に噛まれて病院に行った人のほぼ全員がワクチン注射をするようになってきました。噛まれた後のワクチンさえちゃんとやれば、発病することはなく、死亡する人もいなくなることでしょう。 でもそのワクチンの値段は、5回で約6000〜1万円と、こちらの人達にとっては大変高額なものです。(公務員の月給の倍以上です)それも、その全てが自己負担なのですから、貧しい人は病院に行くことさえためらってしまうことでしょう。 一方犬のワクチンは、一回200〜300円です。その金額さえ出せない人がいて、ワクチン接種頭数が減っている地域もあるのですから心配です。 私の書いた狂犬病レポートが多くの人の目にとまり、ラオスの狂犬病対策を充実させるための援助を…などということになれば良いのですが。 パクセー、ヴィエンチャンと回り、サバナケットに帰ってみるともう1月も終わり。こちらでの仕事も後2ヶ月くらいになってしまいました。こうなると考えなければならないのは、帰ってからの事です。 この2年間、獣医の技術以外の何か目に見えない物で得ることは多かったように思えますが、こと獣医の技術ということに限って言えば、はなはだ低下しているのは確かです。開業するとすれば、少なくともこちらに来た2年前の時点まで技術力を戻さなくてはやっていけないでしょう。どうやら来る前に考えていたように、帰ったらすぐ新潟で開業というのは、少し安易な考えだったかもしれないと思っています。 開業するならするで、計画的に事を運ばなくてはいけませんし、なんと言ってもその基盤になる技術力の低下は、何とかリハビリする必要があります。 幸い前回帰国した時に以前勤めていた病院に挨拶に行ったら、院長もその点に気づいており、「またうちに来て、少し修行しながら開業準備をしたらどうか」と言ってくれました。私としてもそうさせて貰えれば一番ありがたいし、それが一番良いと思います。 少し時間の余裕を持って勤めさせてもらい、その間に開業準備を進められたら理想的です。多分それは可能であると思います。 東中野の部屋もそのままになっていますから、しばらくはそこに住み、月に何回か東京と新潟を移動し、徐々に新潟に移行していくという方法をとろうかと思っています。会社員と違って、転勤してすぐ仕事というわけにはいかない所がつらい所です。 これからの予定で決まっているものを書いておきます。 4月7日 ラオス発 バンコク着 4月8日 バンコク発 ニューヨーク着 5月3日 ニューヨーク発 5月4日 成田着 5月4日には帰国しますが、その後連休明けの4・5日間は、協力隊本部で派遣後研修というものがあり、新潟に帰れるのはその後ということになります。また変わったら連絡します。 結局、S君は3ヶ月の任期延長が本決まりとなり、4月にサバナケットを去るのは私だけということになりました。S君の延長はなかなか決まらず、本人ももうあきらめて4月に帰るつもりになっていたので、本当は帰りたそうです。 ところで、阪神地震でうちの親戚や知り合いの人達は大丈夫だったのでしょうか。ラオスの協力隊員にも関西出身の人が何人かいますが、幸い皆家族の方々は大丈夫だったそうです。 今も外で爆竹の音がしています。今晩12時には町中が爆竹の音で包まれることでしょう。 それではまた、お元気で。 |