ミスサバナケットコンテスト

1995-01-05

 元気ですか。

 ラオスの冬(?)は、それほど寒くないななどと思っていたのですが、この2・3日急に涼しくなってきました。それでも、部屋の窓さえ閉めれば、何とか半袖でいられるくらいですから、たいした事はありません。私の場合、こちらの気候に対応して毛穴が開いているために寒く感じるだけで、もし日本から直接来たら、ちょうど過ごし易いくらいの気温かもしれません。

 さて、何度も手紙に書いていた専門用語集は、昨年の暮れ、28日に完成しました。最後の3日間は、サバナケット隊の皆が手伝ってくれました。130ページを25部ですから、コピーするだけでも時間が掛かります。3日連続で、夕食後農林局のコピー室に行き、2・3時間コピーと製本を手伝ってくれたのです。本当にありがたいことです。出来上った本の最後に皆の名前を入れ、記念に1冊ずつ配り、9日の夕方には新しくできた川沿いのレストランでビールをおごりました。

 こちらに来た頃から少しずつ集めていた単語が、やっと形になったのですから感激もひとしおです。本にした後見つけた訂正個所を直し、さっそく職場の人達に配り、郵送するものは郵送しました。

 こうして終わってみると、なんだかポッカリと暇になり、淋しくなって、また新たな事を始めてしまいました。一度回り出したコマは止まらないと言うか、こういう仕事にも勢いがあり、やりだすと次々にやらねばならない事が出てくるようです。

 新たに始めたのは、以前書いた狂犬病についてのレポートのまとめ直しと、犬の臨床についての本のラオ語訳です。狂犬病については、以前書いたレポートが2種類あるので、それを一つにまとめ、そこに94年分のデータを入れて書き直そうというものです。このレポートは英訳もあるので、それも書き直すつもりです。

 犬の臨床の方は、もう残っている時間も少ないので、スパサイに頼んで口述筆記してもらっていますが、何しろ量が多く大変そうです。果たして後3ヶ月で終わるかどうか…。

 3ヶ月と書いて、改めて残り期間の少ないことに気づきました。きっとあっという間に経ってしまう事でしょう。なんだかそう考えると、ラオスを去るのが淋しくなってきました。思い返してみると、周囲の人達は本当に暖かく親切でした。

 今職場では、私が帰った後も私のことを忘れない為に、今までの治療や手術の写真を集めたパネルを製作してくれています。帰った後も、何年かは職場の壁に飾られることになるのです。ありがたいことです。

 なんだか新年早々、周りの人に感謝ばかりしているようですが、もうすぐ帰るのだなと思い振り返ってみると、周りの人に迷惑ばかりかけていたようにも思えます。それを笑って許してくれた人達に、つい感謝の言葉が出てきてしまうのです。

 少し気分を変えて、年末年始の事についても書いておきましょう。

 31日は、去年の広島アジア大会にラオ人選手を招くための寄付を集めたTさんという人が、家族友人合わせて5名でやって来ました。寄付が予定より多く集まったのと、円高の影響でお金が余り、そのお金でサバナケットに体育館を造るため視察に来たのです。

 夜は、昨年同様ナンハイホテルの年越しパーティーを予約してあったので、Tさんたちも誘いました。Tさんもその友人の方も、元ラオスの協力隊員だった人達です。日本でラオ語を習っているとは言っていましたが、未だにラオ語がうまいので驚いてしまいました。Tさんがラオスにいたのは、もう20年くらい前なのです。

 パーティーの方は、そう面白い物ではありませんでした。去年は民間主催で、タイからファッションショーのモデルをよんだり、MさんとCちゃんが浴衣姿で出演したりして結構楽しかったのですが、今年は県の主催。やはり何処の国でも、役所主催となると急に野暮ったくなるようで、ミスコンテストのようなものをずっとやっているだけの、あまり芸のないものでした。

 Oさんの秘書スッサイチャイは、ボートレースの時のミスサバナケットですから当然出演していました。別格扱いで、もちろん今回の賞金には関係なく、「一銭も貰えないのに、この日の為に25、000キープもする衣装を買わされた」と嘆いていました。彼女がボートレースの時に貰った賞金は50、000キープだったのに、今回は150、000キープ(約3万円)の賞金だったのですから、嘆く気もわかります。

 最後の結果までは見ず、12時頃ホテルに戻り年越しそばを食べました。(ちゃんとキープしてあったのです)テレビで結果を見ましたが(まだ同時中継というわけにはいかず、映したテープをバイクでテレビ局に運ぶという方法で中継していたようです)、どう見ても優勝しそうにない人が優勝し、あれは金持ちの娘で、かなり組織票が動いたに違いないなどと皆でうわさしました。

 元旦の午前中は、屋上にゴザを敷いて皆でお雑煮を食べ、夜はチラシ寿司という、たいへん幸せな1日でした。私以外の3人、Sくん、Mさん、K君は料理がうまいので助かります。私とOさんはいつも食べるだけ、後片付け係りです。

 2日はラオスも振替休日(それとも皆自主的に)で休みです。3日も日本の習慣だからと言って休んで部屋にいましたが、特に何処に行くということもなく、1日中狂犬病のレポートをパソコンに入力していました。

 以前Yさんに貰ったワープロは、ついに壊れて使い物にならなくなってしまいました。狂犬病のレポートは、全部そのワープロに入れてあったのです。そのため、今度はCチャンが置いていってくれたノートパソコンに入力しなおさなければならなくなったのです。

 ワープロは確かに便利なのですが、機種が違うとまた入力しなおさなければならないので大変です。一見便利になったようですが、かえって別のところでつまらぬ時間がかかってしまうようにできているようにも思えます。

 年が明けるまではそれほどでもなかったのですが、年が明けたとたんに帰る日が気になり、妙に気があせってしまいます。そろそろ帰ってからの事も考えなければいけません。

 任期は4月6日までですから、7日にはラオスを出てニューヨークに行ってうちの奥さんと会い、5月5日までには帰国する予定です。その時2人で一緒に帰国するかどうかは、まだ分かりません。

 ラオス−ニューヨーク間は、なぜか郵便事情が悪く、運が悪いと3ヶ月以上もかかってしまう事があるので大変です。だから、この予定もまだ確かな物ではなく、本当にニューヨークに行くかどうかさえ不確実な物です。いつ帰国するか(5月5日までに帰国し、協力隊本部に行かなくてはいけないということは決まっています)、帰国後どうするかなど、決まり次第お知らせします。

 それではまた、お元気で。

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