農業学校の女生徒達

1994-07-02

 元気ですか。今こちらは雨期、夕方になると必ず一回は雨が降ります。でも、そのおかげで日中はそう暑くなく、日本で言えば初夏といった過ごし易い気候が続いています。今日も朝から停電で、扇風機が使えないのですが、そう暑さは感じません。

 さて後1週間ほどで、SAさん、Sさん、Cちゃんの3人が2年間の任期を終えてサバナケットを去ることになります。10人いたサバナケット隊員も7人に減り、男ばかりになってしまいます。シーランに住む人もいなくなってしまいます。センサバイに住む6人と、自前で部屋を借りているOさんの7人になるわけです。

 農林局の森林課に居たSAさんは、N県の県職員ですから、帰ってもちゃんと仕事がありますし、かわいい彼女も待っています。こちらのお金持ち、ブントンさんの縫製工場の設立を手伝い信頼されていますから、日本に帰ってから小遣い稼ぎにYシャツの輸入でもやろうかななんて言っていました。本当にしっかりしているというか、堅実な人なのです。

 助産婦のSさんは、いつも仕事の事で色々悩んでいました。協力隊で途上国に来た場合、医療系の隊員が感じるギャップが一番激しいようです。消毒一つでも、せっかく消毒したものを手で掴んでしまったりするのですから、イライラしてしまう事も多いようです。普通ならギャップに悩みながらも、妥協する所は妥協していくのでしょうが彼女は仕事に対して完璧主義な面があり、なかなか妥協点が見出せなかったのかも知れません。

 でも、日本でも看護婦さんは慢性的な人手不足ですから、職に困るということは無いでしょう。

 Cちゃんは今になって日本に帰るのが淋しくなってきたようです。一昨日彼女の勤めていた学校で、お別れパーティーがありましたが、学校でも生徒達に好かれていたようです。

 彼女の場合大学を卒業してすぐ協力隊でしたから、日本で働いた経験が無く、帰国してからの仕事のことを考えると、どうしても不安が先に立ってしまうのかもしれません。最近は、一人で夕食をとるのが寂しいらしく、夕方になるとセンサバイまで夕食のお誘いに来ます。

 Cちゃんはまだ若いし、語学に対する感覚も良いので、一度日本に戻ってもまたいずれ海外で仕事をする事になるかもしれません。でも、若いうちに海外に出たために日本では暮らせなくなる人も多いと聞いています。彼女にはそうなって欲しくないななどと、よけいな心配をしてしまいます。

 とまあ三人三様に、それぞれの思いを抱きながら、来週8日にはこの町を去ることになります。それまで、連日パーティーが続く予定です。周りの私達も、結構大変です。

 SさんとCちゃんが帰国すると、日本人の女性と話す機会も無くなってしまいます。私の場合子供のころから女性の多い家で育っていますし、女性の友人も多かったので、男ばかりというこんな状況は始めての経験かもしれません。近所のお姉ちゃんたちと挨拶したり、立ち話はしますが、やはり言葉の壁があり、話し合うというところまではいきません。

 そんな男ばかりの生活に耐えられるでしょうか。少し不安です。今のところ、新たな女性隊員が来る予定はありませんし、新隊員の要請についても、かなり難航しているようです。県の会議ではこれからも協力隊を要請する事になり、私の職場からも要請の申請を出したのですが、うわさによると知事の奥さんが反対派なのだそうです。知事の奥さんは保険局の局長なのですが、協力隊は怠け者だから要らない、専門家のほうが良いと言っているようなのです。

 でも、かえって男ばかりのほうが気楽かもしれませんし、来月は健康診断、9月にはうちの奥さんと会い、任国外旅行に行きます。残り10ヶ月をきり、うかうかしていると、あっという間に過ぎてしまうかもしれません。

 最後になってバタバタと慌てないように、今から心がけておかなくてはと思っています。

 それではまた、お元気で。

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