メコン川の夕日

1994-05-29

 元気ですか。今週の初めは、大変暑い日が続きました。往診に行ってカバンから体温計を出すと、水銀が一番上まであがっているのですから、並みの暑さではありません。夜も気温が下がらず、本物の熱帯夜なのです。

 そんな暑さの中、すぐ裏のメコン川の川岸でロケット祭りがありました。各村での祭りを終え、その代表が集まってやる、今年最後のロケット祭りです。2時からと聞いたので見物に行きましたが、ただ立っているだけでもジリジリと暑く、ほんの5分ほどで引き上げてきました。暑さのせいか、あるいは村から出てきて緊張しているせいなのか、以前村で見たときのようなノリはなく、けっこうおとなしいものでした。

 そのロケット祭りのおかげなのか、週の後半は雨も降り、少し過ごし易い気温になりました。でも、週の前半の暑さで体力を消耗したせいか、この2・3日寝てばかりいます。別に病気というわけではないのですが、とにかく寝てしまうのです。平気で12時間くらい寝てしまいます。いつもなら木曜くらいに書く手紙も、今日の日曜まで持ち越してしまいました。

 S君などは、昨日熱を出し寝込んでいました。彼は生まれてから一度も病気をしたことがなく、今回が初めての発熱なのだそうです。昨夜は39度以上あったようですが、昨夜あげた薬が効いたらしく今朝はけろりとしていました。まったく丈夫な人です。

 私も彼もこちらに来て1年を過ぎたばかり、ちょうど体力が低下してくる時期なのかもしれません。私のほうは、いっぱい寝たおかげで体調も戻り、こうして手紙を書く気力も出てきました。

 さて、話は戻りますが、先週の週末はヴィエンチャンに行ってきました。土曜日には、クリストファーのお母さんを見送りに空港に行きました。もっとちゃんと英語が話せれば、色々言えることもあるのでしょうが、私たちのたどたどしい英語でも何とか聞き取ってくれ、とても感激して帰って行きました。

 翌日は、病気で一時帰国するSさんのお見送りでした。ひざが痛いのでレントゲンを取ったら、影が写り、こちらの病院でははっきりしないので、帰国することになったのです。たいした事がなければよいのですが…。

 Sさんが看護婦としてラオスにやってきたのは、昨年の12月でした。大変バイタリティーのある人で、話し出すと止まらず、1日や2日の徹夜は平気な人です。ヴィエンチャン市内から少し離れた所に住んでいたので、週末はドミトリーに泊り込んでいました。そのため、地方隊員がヴィエンチャンにあがると、彼女と明け方まで話をしなければいけませんでした。翌日、話し相手をした方は眠たくて仕方ないのに、彼女はケロリとしていました。

 そんな、いつも元気な人でしたから、病気はショックだったらしく、帰国前日に行ったMさんの結婚式前夜祭では、かなり酔っていました。 その日はドミトリーで朝4時ごろまで話しましたが、さすがにいつものような元気はありませんでした。本当にたいした事がなければよいのですが。どちらにせよ、一度帰国すると手続きのため1ヶ月は日本にいることになります。

 私の同期のT君も、火曜日に病気のため一時帰国したそうですが、こちらは誰の同情もひかなかったようです。目の乱視が進み、寄生虫もいるようなので検査のためにという理由らしいのですが、そのわりに毎週欠かさずソフトボールをしたりしていました。彼の手紙を読んだ両親が心配してJOCVに連絡し、事が大げさになった、というのが真相のようです。

 メディカルコーディネーターのSさんとしては、7月の健康診断の時にと思っていたようで、いきなりの本部からの指令に腹を立てていました。本人やご両親の不安もわかりますが…。いやはやなんともといった感じです。

 日曜日の夜は、元協力隊隊員のMさんと、ヴィエンチャンにある焼き飯屋のお姉さんの結婚式でした。Mさんは隊員時代、このお姉さんを気に入り、1日2回、必ずお店に通っていました。Mさんは6月から国連ボランティアとしてまたラオスに来る事も決まり、まずはめでたしめでたしといったところです。お姉さんは中国人なので、結婚パーティーのお客のほとんどは中国人でしたが、1000人近くが集まる、盛大なパーティーでした。今回ヴィエンチャンに行った主目的は、このパーティーに参加する事だったので、月曜にはサバナケットに戻りました。

 それにしても、この1週間は、本当にエネルギーがぬけたような週でした。暑さのせいだけではなく、心理的にも低下していたのです。別にこれといった大きな理由があったわけではないのですが、小さな事が色々と重なってしまったのです。

 一つは、サバナケット県からは、新しい隊員要請が出ていないということを、ヴィエンチャンの事務所に行った時に聞いた事です。要請が出ていないということは、今後新しい隊員がやってこないということです。以前、日本語を話せるボワカムさんが、ラオスに協力に来るなら、お金を持った専門家でなくてはだめだ、などとむしの良い事を言っていましたが、県の上の人達まで同じように考えていたのでしょうか。がっかりしてしまいました。

 普段は、協力隊の皆さんに来てもらって助かっている、などと言っていたくせに、本当はあまり必要だとは思っていなかったのでしょうか。いらないって言うなら帰ろうかな、なんて思ってしまいます。

 だいたい、県の認識も甘すぎます。そんないきなり専門家を要請しても、来るはずがありませんし、協力隊の要請を一度切ってしまうと、またもう一度呼ぶのは大変困難なのだと聞いています。もう協力の必要は無いだろうと思われてしまうからです。

 そんな事を考えている最中の水曜日、パーティーの招待がありました。日本からの調査団が来たというので行ってみると、これが調査団なんてとんでもない、商社の人が肥料会社の人をつれて、肥料の売り込みに来ただけでした。要するに私達は、パーティーの刺身のツマ。「オイオイ、うちらはホストじゃないんだよ」、という感じで、2次会に誘われましたが帰ってきました。

 仕事のほうも、2週間前に去勢した豚が死んでしまい、「奴は、犬は治せるけど、大きい動物はあまり…」みたいなうわさが立っているようです。豚が死んだのは手術から2週間後ですから、手術のせいかどうか分かりませんが、大動物を診られないというのはまあ本当の事なので、仕方ないかもしれません。それでも、こっちの人よりはわかっているつもりなのですが…。得意な事でがんばるしかないのかもしれません。

 職場の建物を増築中で、エアコン付きの検査室もできると聞き、新しい検査室に顕微鏡一つしかないのでは格好がつかないと思い、色々と機材を申請しました。ところが、良く聞いてみると、増築中のエアコン付きの部屋は、所長室で、検査室は、今いる部屋を区切って部屋にするだけなのだそうです。初めの話とは違いましたが、まあ検査室ができるなら良いかと思い、我慢する事にしました。

 部屋を区切るだけですから、あっと言う間に出来上がりました。次の日職場に行くと、検査室のはずなのに、私の机と、事務長のパンシーの机が置いてあり、顕微鏡を置く机を置くスペースさえないのです。たしかに部屋の隅に、流しができていましたが、所長の言っていたエアコンは付く気配も無く、顕微鏡は、元の部屋の片隅に置かれていました。いったい何を考えているのでしょうか。

 犬の往診でも、大変わがままな人がいて困っています。大変強暴で、押さえる人がいないと治療できない犬なのですが、月曜日来てくれと言うので行ってみると、「押さえる人がいないので、夕方6時に来てくれ」と言われ、夕方行くと「今日は来られないから明日来てくれ」というのがたびたび続き、結局月曜から金曜まで毎日通い、未だに治療できないでいるのです。

 今日も5時に来てくれと言われているのですが、いったいどうなる事やら…。「自分で首輪も付けられない犬を飼うんじゃねえよ…」なんて思ってしまいました。

 例のパーマ屋軍団の友達の家なのですが、知り合いの紹介なので、甘えても良いと思っているのでしょうか。「ごめんなさい。明日は必ず繋いでおくから」と言われつづけ、「ボーペンニャン(気にしないで)」と返事するこちらの言葉も、ついぶっきらぼうになってしまいました。

 まあそんなこんなで、一つ一つはたいした事ではないのですが、なんとなく気分が落ち込んでいました。ちょうど1年目というのは、体調にしても、環境にしても、色々と問題が出てくる時期なのかもしれません。でも、この2・3日、良く眠ったせいで気力も回復してきました。元気になると、気分も明るくなってきます。明日はきっと良い日でしょう。

 それではまた、お元気で。

 

追伸

 ニューヨークに行って以来(ニューヨークの語学学校に留学しました)、うちの奥さんから連絡が無く心配していたのですが、電話を掛け、真相が判明しました。ニューヨークの郵便局員がラオスという国を知らず、何度手紙を出しても、戻って来ていたのだそうです。正式名のLao P.D.R.では、分からなかったようです。Laosと書かなければいけなかったのです。ちょうど妹が遊びに来ており、元気にしていました。日本から持っていった仕事に追われる日々だといっていました。

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