セーセートの滝

1994-05-03

 元気ですか。こちらは相変わらず暑い毎日です。

 先週の週末、2週間ほど前に行ったばかりのパクセーに、また行ってきました。以前手紙にも書いたことのある、協力隊サバナケットOBのSさんが仕事でパクセーに来ており、自分は仕事で動けないが、サバナケットの皆と会いたいし、マージャンもしたいので遊びに来ないかと、旅費まで送ってきたのです。

 Sさんには色々とお世話になっており、行かないわけにはいきません。せっかく旅費を送ってもらったので、レンタカーを運転手付で借り、S君、Mさん、SAさん、Sさんと5人で土日1泊のパクセー旅行に行きました。バスで行った時には6時間以上かかった道のりが、たったの4時間。車もバンだったので、ゆったり座って行けました。

 午前中にはパクセーに着き、SさんやラオスOBのMUさん、パクセー隊員のTやM君にも会うことができました。昼食を一緒にし、午後はTも誘ってワットプーへ。クメール様式の遺跡なのですが、私はこれで3回目ということになりました。

 パクセーに戻り夕食後は、Sさんお待ちかねのマージャン。夜3時頃までやりましたが、待っていただけあってSさんの1人勝ちでした。でも、旅費や食事代、ホテル代まで出してもらって、そのうえマージャンまで勝ってしまったら申し訳ありません。ちょうど良い結果でした。もっとも、マージャンで勝っても、ラーメン1杯分くらいにしかなりません。結局何から何までお世話になりっぱなしだったということです。

 おかしなもので、調査団の人たちなどが来て少しお世話をしたときに、お礼などもらうと、「バカにするなよ。こんなものいらないよ」という気になるのに、Sさんだとどうも甘えても良いと思ってしまいます。

 笑いながら、「協力隊の1ヶ月分くらい、こっちは1日で稼いでるんだから、気にするなよ」と言われると、なるほどと納得させられてしまうのです。おごったからっといって、けして恩着せがましいことを言うような人ではないのです。皆で素直におごられてしまいました。

 次の日は、2週間前にも行ったセーセートの滝に行き、パクセーで昼食をとり、6時ごろにはサバナケットに帰ってきました。2週間前に5日もかけてバスで回った所のほとんどをたった1泊2日で回ってしまったのですから、車というものは早いものです。でも逆にバスで回った時のほうが、感激も大きかったように思いました。

 この旅行に行く前日の金曜日は、ラオスに来て一番忙しい日だったような気がします。午前中は耳を噛まれてちぎれそうになっているパキスタン人のシェパード、人を噛んだ犬の狂犬病鑑定、熱があって食欲のない紙屋の犬、所長の飼い犬の風邪、吐いてばかりいる金屋の犬と5件の往診があり、午後は豚の去勢の後、中国人学校の乳房炎の犬。

 5時過ぎにやっと帰ると、近所のパーマ屋のお姉ちゃんが呼びに来て、再びパキスタン人の家。朝行った時は犬が興奮していて治療らしい治療ができなかったので、もう一度来てくれと言うのです。タイで買った睡眠薬を飲ませたから、もう少ししたら眠るはずだと言うのです。ところが、いくら待っても薬が効く気配はなく、夕食をご馳走になってから無理やり麻酔薬を注射し、やっと治療できました。終わって帰ってみると9時過ぎ。大変長い一日でした。

 パキスタン人の家と書きましたが、本当はこの家の主人はパキスタン人とラオ人のハーフ。ラオス生まれでラオ語しか話せません。ビニール袋工場のオーナーで、どでかい庭付きの大きな家に住み、シェパードもどきを2頭飼っているのです。その人の奥さんや妹がパーマ屋軍団のお姉ちゃんたちと仲が良く、その縁で治療に行くことになったのです。

 娯楽の少ない国ですから、犬の治療というのも立派なイベントです。それも、犬に麻酔をかけるなんて始めて見ることなので、金曜の夜はパーマ屋軍団のオールキャストが集まり、大夕食会になってしまいました。

 結局その日も、毛刈りと消毒をしただけで麻酔が切れて犬が暴れだし、今日6時からまた行くことになりました。S君とMさんも食事に招待されているのですから、また治療と宴会とどちらがメインか分からないことになってしまうのは確実です。

 何しろそれまで犬の治療のために獣医を呼ぶなんて事はなかったのですから、珍しいのでしょう。小さいころ開業医だった祖父が、夜遅く往診かばんを下げて、ご機嫌で往診から帰ってきた姿を思い出してしまいました。きっと昔の日本も、お医者さんに家に来てもらうなんてことはめったにないことで、大騒ぎでお出迎えされたのかな、なんて想像してしまいました。

 さてそろそろ時間です。今日は何時に帰ってこられることやら。

 ではまた、お元気で。

 

P.S. 今日の夕方、送ってくれた本が届きました。本当にありがとう、大変助かります。でも、こんなに忙しいと、以前計画していた農業学校に教えに行く件は流れてしまいそうです。

 私のラオ語で教えるとなると、かなり予習もしなければいけませんし、カンタボンを連れて行くつもりだったのに、奴は血を見るのが嫌だから獣医にはなりたくないなどと言い出す始末です。せっかく色々教えようと思っていたのに、肩すかしをくった感じです。でも、せっかくのチャンスですから、1度は教壇にも立ってみたいと思っています。

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