バンビエン

1994-02-13

 元気ですか。昨日やっとサバナケットに帰ってきました。

 帰ったとたんの中国正月。昨日は夜1時過ぎまで爆竹の音が響き渡り寝るどころではなく、今朝も6時半には爆竹の音で目が覚め、寝不足状態です。先週ひいた風邪も、完全には抜けきっていませんし、外は何ヶ月ぶりかで雨が降るようなジメジメした天気です。昨日からの爆竹騒ぎが、雨雲を呼んだのかもしれません。

 中国(ベトナム)正月なので、街の中国系とベトナム系の店は休業です。昨日は、街のほとんどの店が休みなので、夕飯を食べる店を探すのに苦労しました。この国の商業は、中国人とベトナム人で成り立っている事を実感させられました。

 あまり快調とは言えないので、部屋で寝ていたいところだったのですが、昨日から調整員のKさんと中央政府の人がサバナケットに来ており、職場を見学にくるかもしれないというので、仕事に行きました。

 職場に着くとさっそく、狂犬病の疑いがあるコーヒー屋の犬を診に行きました。2・3日前までは歩けたし、食欲もあったと飼い主は言っていましたが、とてもそうは思えず、貧血と脱水で弱っていたので、点滴する事にしました。(2・10)

 手紙を書き始めてからもう3日も経ってしまいました。この2・3日、コーヒー屋の犬、シオパイと、ドーベルマンのミッキーの治療にかかりきりで、手紙を書くどころではなかったのです。

 シオパイ(中国人の家なので、小白と書いてシオパイ。1才のオス)は、狂犬病の疑いのあった犬ですが、その後の経過を見ると狂犬病ではなかったようです。こちらには毒を持ったカエルがおり、飼い主が言うには、シオパイがカエルで遊んでいるのを見たとの事ですから、神経性の毒を持ったカエルを食べた可能性もあります。

 私がヴィエンチャンに行っている間に1度良くなり、治療も中止していたそうなのですが、帰ってから行ってみると、頭も上げられないくらい衰弱していました。さっそく点滴を初め今日で4日目。少しは頭を動かし、ハチミツくらいは舐められる様になりました。

 もう1匹のミッキーは、ベトナム人のお金持ちの犬。もう1週間以上も何も食べておらずガリガリに痩せ、こちらも首を持ち上げる事さえ出来ません。獣医だと自称する女の人が治療していたらしいのですが、どうしようもなくなってうちの課にやって来たのです。点滴をし、健康診断でタイに行った時に買った薬を注射して3日目。昨日の夕方は、少し食欲が出たらしく、肉を2・3切食べてくれました。

 点滴を始めると、1・2時間おきに、針が外れていないか確かめに行かなくてはいけません。(留置針などないので)それが2件ですから、なかなか落ち着いて何かをやるという暇のないまま1日が過ぎ去ってしまいます。今日も日曜だというのに、もう少ししたら見に行かなければいけません。

 こうやって犬の治療をしていると、協力隊という感じではありません。お金持ちの家に行って犬の治療をし、お茶を飲みながら世間話。(良く分からないので、ウンウンと言って聞いているだけですが)まったく日本にいたときと変わりません。まるでこちらで開業したような状況です。

 なんで最近こんなに犬の治療が増えたのかと思っていたら、やはり言いふらしている人がいたようです。この前、調整員のKさんが来ていた時、県の人達と話していたら「日本から犬の専門家が来て・・・」という話題も出ていたのだそうです。私としても水牛より犬のほうが慣れているので、つい熱心になってしまいます。

 ワクチン工場の件については、 ヴィエンチャンにいる間に何度か獣医課に行って相談したり、大使館にも行きました。4月以降になれば、援助が出来るかもしれないとの事でした。

 でも、最近ラオス産のワクチンについて、不信感を持っています。ヴィエンチャンに行く前に、ブントンさんの家の子犬にワクチンをうったのですが、私がヴィエンチャンにいる間に、狂犬病のような症状になり、死んでしまったのです。ラオス産のワクチンは生ワクチンです。ワクチンの製造工程で手抜きがあると、逆に発病の可能性があります。そんないいかげんなワクチンを作っている工場を援助してもよいのかということに疑問を感じてしまいました。

 ブントンさんと言えば、彼の家に来ていた、シルバーボランティアのBさんは、今日無事に帰国していきました。ほんの1ヶ月ちょっとで、何とか工場を立て直すめどをつけて帰ったのですからたいしたものです。

 ちょっとミッキーの具合を見てきました。1時間半で100cc、この分ではまた7時頃まで掛かりそうです。

 現金なもので、犬の治療をしているうちに、自分の風邪はすっかり治ってしまいました。やはり、慣れた仕事というのは良いものです。今年の1月にMさんが熱を出したとき、看護婦のSさんがやけに生き生きと看病していた気持ちが良く分かります。

 さて、このところ2回ほどハガキで済ましていたので、少しその間の事も書いておきます。

 ヴィエンチャンに行ったのは1月26日。JICA主催の任地への旅でサバナケットにやって来た、Sさんのお母さんやSAさんのお父さんとはすれ違いでした。

 昼は獣医課に行ったり、買い物をし、夜はビアソットと、あっという間に2・3日経ちました。事務所のMC(メディカルコーディネーター)Hさんの送別会もありました。Hさんは任期が終わり、3月1日には帰国します。

 代わりにやって来たMCはSIさんという外科の看護婦さんだった人です。JOCVのOGで、アフリカに行っていたそうです。わたしより少し年上で、今までのHさんがガッシリしたタイプだったのと逆に、スリムな美人系(?)の人です。

 私は、ヴィエンチャンに行く前に狂犬病の疑いのある犬を治療しており、感染の疑いもあるということでワクチン注射をする事になってしまいました。2週間のうちに4回も注射したのです。さっそくSIさんのお世話になってしまいました。

 CC(チーフコーディネーター?)の方も一人増え、ラオス事務所は日本人スタッフが3人になることになりました。2月3日にSTさんという32才くらいの男の人がやってきました。

 責任者のKさんにしても、新任の2人にしても前のHさんのように英語もラオ語もというわけにはいかず、英語だけです。現地スタッフのガードマンなどは、英語ができないので戸惑っていました。Kさんももう来てから半年も経つのに、挨拶さえ全て英語。前のCC、Tさんが懐かしいなどと言っていました。

 そのうえ、今度はHさんまでいなくなるのですから、英語のできない彼にとっては大問題です。もちろん現地スタッフにも英語のできる人もいるのですが、そういう人に限ってちょっとくせのある人が多いのです。SEなどは、英語が少しだけできるので、ガードマンから事務員になったのですが、最近アルバイトでサムロー(バイクタクシー)を始め、安く乗せてあげると言いながら、実際は市価より高くとろうとするので、隊員には不人気です。

 1月31には、ラオスの歴史についてのビデオを見たあと、隊員総会がありました。この総会も以前は、新隊員の来る時期に合わせて開かれており、本当に隊員全員が出席する会だったのですが、今回はKさんが時期をずらしてしまったため全員というわけにはいきませんでした。12月に来た新隊員3人のうち、1月にシェンカンに着任したS君(22才。果樹)とSZさん(24才。看護婦)は出席できず、ヴィエンチャン隊員のSMさん(30才。看護婦)しか出席できませんでした。

 私は12月の始めにヴィエンチャンにいたので、3人とも1日だけ会えました。しかし、次の総会(7月くらい)までにMさんたちの隊次(4月帰国)と、SAさん、Sさん、Cちゃんの隊次(7月帰国)は帰国してしまいシェンカンの2人とはすれ違い。せっかく同時期にラオスにいながら、顔も合わせずに終わる事になります。

 シェンカンの2人にしても、せっかく先に来た人達の話を聞けるチャンスだったのに、もったいない話です。とかく総会というと、事務所に対する不満などが出ますので、そんな話を来たばかりの人達に聞かせたくなかったのかもしれませんが、それ以上に有意義な事も多いと思います。次回からは元通り新隊員も交えて総会が出来るよう、Kさんに要望を出す事になりました。

 2月1日は、タイのウドンタニ-で健康診断。昨年と違って午前中には終わり、たっぷりと買い物の時間がありました。私はS君と町をぶらぶらしましたが、あまり買い物はせず、もっぱら久しぶりのデパートでのウィンドウショッピング。ラオスにはないファーストフード、ケンタッキーのハンバーガーには感激しました。

 デパートの中はクーラーがきいており、ラオスに来てからクーラーには縁がなかった2人は、体調を崩してしまいました。S君は腹痛で夜のディスコ行きは欠席。私も少し喉が痛かったのですが、久しぶりなのでディスコに出かけ、風邪をこじらせてしまいました。そのため、次の日と3日の総会は欠席し、寝ていました。

 4日はバスを借りきり、生ビールの機械をつんで、ヴィエンチャンの北約150kmの山里、バンビエンにピクニック。体調が回復した私も参加しました。とてもきれいな所でしたが、洞窟などもすっかり観光地化されており、あまりラオスらしくないところでした。

 6・7日は、チャンディーとCちゃんの3人でヴィエンチャンの南150kmほどにあるパクサーンへ1泊旅行に行きました。バスで約3時間半。3分の2は未舗装です。ほこりまみれになって着いてみると、町というほどの町はなく、ガランとしています。泊まらずに帰ろうかとも思いましたが、周りの人に聞いてみると、一応ホテルがあるとのこと。見所も、15km程離れた所に岩山があるというので、とりあえずホテルに向かいました。

 ホテルはバストイレ共同で一部屋5000キープ(1000円)。まあまあきれいなホテルでした。

 サムローを雇って岩山へ。もちろんガイドブックなどには載っていませんし、行ってみるまではどんな所なのか分かりません。途中サムローのチェーンが切れるというアクシデントはありましたが、着いてみると小高い岩山。サムローのおじさんの案内で、2kmくらいの山道を登りました。この山全体が、お坊さんの修行の場になっているのだそうです。頂上にある大きな岩の下はお堂のようになっていて、そこに1人で座って霊感を得る(ピーという精霊の言葉を学ぶ)のだそうです。

 その岩のさらに上には、小さな泉があり、そこでは砂金が採れるのだけど、外国人は行ってはいけないし、内緒で登ってもふもとに住んでいるお坊さん達は霊感があるので分かってしまうのだとおじさんは言っていました。(ただし、ピーマイラオ=ラオ正月の時だけは登って良いそうです)雨季には上の泉にたまった水が滝の様に流れ落ち、お堂の前は池になるのだそうです。

 このパクサーンという所は、電気がくるのは夜6時から9時までの4時間です。夜遊びはせず(する所もありませんが)、すぐに寝て、次の日タラート(市場)を見学し、再びバスに2時間半ほど揺られヴィエンチャンにもどりました。そして、次の日9日の朝にはサバナケットにもどりました。

 さすがに2週間分となると、出来事を並べただけで長い手紙になってしまいました。3週間ほどは落ち着いてサバナケットにいますが、3月3日にはうちの奥さんがラオスに来るので、またヴィエンチャンまで迎えに行く事になります。それまでにシオパイとミッキーが元気になってくれれば良いのですが…。

 それではまた、お元気で。

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