スパサイ

1994-01-13

 元気ですか。大変ショックな出来事がありました。ヴィエンチャンでの語学訓練の時一緒だったスウェーデン人のボランティア、クリストファーが死んだのです。原因はマラリア。年末休暇で行ったフィリピンで発病し、12月27日に入院し、今年の初めに死んだのだそうです。

 彼は27才。文化人類学のドクターの資格をとるためにラオスにやって来たのです。語学訓練中は良く一緒に飲みに行き、英語、ラオ語のチャンポンで話しました。昨年8月にパクセーに行った時にも、帰る日の朝会って一緒に朝飯を食べました。

 彼は農業指導の仕事で、パクセーよりもさらに奥のパクソンに住み、そこよりさらに山奥の村に行っていました。どうせクロロキン耐性の蚊が多いのだからと言って、予防薬も飲んでいなかったようです。バカな奴です。サバナケットに来たら一緒に飲もうという約束も、果たせなくなってしまいました。ちょっとシャイで、皮肉屋で、スウェーデンよりもアジアの国の方が好きだと言っていた奴でした。

 日曜日にヴィエンチャンから帰って来たOさんに聞き、とても信じられませんでした。普段そばにいる奴ではないので、実感として受け止められなかったのです。でも昨日のヴィエンチャンとの定期連絡の無線で、奴の葬式がヴィエンチャンであったと言っていましたから、やはり本当のようです。

 土曜日に、山越が送ってくれた手塚治虫の「ブッダ」が届き、一晩かけて読み通した翌日に聞いた話だっただけに、妙に人の生と死について考えてしまいました。

 こういう問題について考えるには、ラオスというのは最適な土地です。日本でなら日々バタバタするだけで、考える余裕もないかもしれません。ここにいると、輪廻転生というものも、本当にあるのかもしれないと思えてきます。

 現在生きているこの肉体というのは、ただ魂の乗り物に過ぎないとブッダは言います。おもしろい事に、最近の遺伝学の説では、個々の固体はDNAを運ぶための乗り物であり、全ての動物の営みは、そのDNAを守るためのものであるというものがあります。

 以前読んだ本にこんな事が書いてありました。全ての人は本来、前世の記憶を持っている。ところが、出産時に子宮を収縮させるホルモン、オキシトシンには記憶を失わせる作用があり、前世の記憶を忘れてしまう。ところがたまに前世の記憶を持つ者がおり、そういう人はアジア人に多い。なぜアジアに多いかといえば、一般的にアジア人は多産であり、出産を重ねれば重ねるほど、オキシトシンの量が少なくても出産可能である。つまり、オキシトシンを浴びる量が少ないので、前世の記憶を持つものが多いのだというのです。まあ眉唾な話ですが、妙に納得させられてしまう説です。

 こんな事を書いているからといって、ご存じのような性格の私ですから、宗教にのめりこむということはないと思います。以前、宗教に凝っている従姉のMちゃんが、「私は死んだおばさんの生まれ変わりなのだけど。弟は、私より昔から何回も生まれ変わっている。だから弟の方が私より魂の位が上なの」と言っていましたが、それほど単純な事ではないような気がします。

 本当に生まれ変わりというものがあるのかどうか証明のしようはありませんし、真実は誰にも分からないものだと思います。でももし分からないなら、あると思っていた方が安心できるような気もします。

 今私の回りにいる人達や、今まで関わってきた人たちというのは本当に良い人達だと心の底から思います。でも、人間にとって死というのは避けられないものですから、いつか別れる時がやって来ます。死というものが無であり、もう二度と会えないのだとしたら寂しすぎます。

 友達の中には、今まで一度も身近な人の死に立ち会った事がないという人もいますが、私の場合幼い頃から多くの死に立ち会ってきたような気がします。だからこそ、こんな事を考えてしまうのかもしれません。

 今回のクリストファーにしても、祖父にしても父にしても、ひょっとするとまた別の形で会えるかもしれないと思うだけで嬉しくて思えてしまいます。どうせ考えるなら、暗く考えるより明るく考えた方が良いと思うのです。

 また会うかもしれない人なのだからこそ、その時その時に自分のできるだけのことをしなければならないのだと思います。(けして無理してまで相手に尽くすという意味ではなく)

 今回の奴の死をきっかけとして、少し自分自信を反省してしまいました。もうラオスに来て9ヶ月。最初に来た時には、これはちょっとおかしいと思ったことにも、いつしか慣れてしまっていたような気がします。

 たとえば職場での消毒についてです。せっかく煮沸消毒した器具を、手でつまんでいるのを見て不快に思いながら、まあいいやで済ましていたのです。でもそれをそのままほっておくのは、職場の人達のためにもならないと思ったのです。

 ラオ人はプライドが高いので、だめと言うだけでは聞いてくれません。今まで、この国にはエチルアルコールはないと言われ、鵜呑みにしていたのですが、自分で薬局に言って聞いてみると、奥の棚にちゃんとありました。所長に消毒の必要性を話し(本当は所長も分かっていると思うのですが)、お金を出してもらって購入しました。そして消毒後の器具を消毒器から出すときは、アルコールを入れたビンの中のピンセットを使うようにしました。

 ラオ人は、自分からはなかなかやろうとしませんが、新しい事やきれいなものは大好きです。きれいなビンの中のアルコールは気に入ったらしく、これからはなんとかやってくれそうです。

 もう一つ考えた事があります。それは、後継者の教育です。今うちの課を見てみると、経験のあるおじさん、ドンチャイがいて、ブルガリアで専門教育を受けていて、なんとか日本でも獣医としてやれるかもしれない、スパサイがいます。ところが、その次のカンタボンとなると、獣医とはとても言えません。

 ロシア、ブルガリアなど外国の大学に留学できたのは、スパサイの年代(32才)くらいまでで、今現在、外国で獣医の勉強をしているラオ人は1人もいません。(ラオスの獣医は国家資格ではありませんし、専門の大学もありません)

 カンタボンにしても、Cちゃんが行っている農学校の授業で、こんな病気がありますと学んだ程度。教える方に獣医がいないのですから、治療ついて学んだ事もなければ、外科実習などしたこともありません。

 こういう状態を知りつつ、何とかしなくてはと思っていたのに、今までどうしようもないとほっておきました。しかし、それではいけない、自分に出来る事はしなくてはと思いなおし、週に1・2回農業学校に教えに行く事を計画しています。通訳としてカンタボンを連れて行けば(ラオ語からラオ語への通訳ですが)、一石二鳥です。色々準備もありますから、すぐにというわけにはいきませんが、やりたいと思っています。うちの課の人達や、学校で獣医学を教えているスパサイの奥さんは賛成してくれています。

《この計画が実現する前に農学校が統合され、サバナケットの農学校は廃校になってしまいました》

 そういえば、今日手紙が届きました。こちらに来る前に最後まで反対していた妹が、一言書いてくれていたので安心しました。「別にラオスに行くのは、お兄ちゃんじゃなくても良いじゃないの」という言葉が、心に引っかかっていたのです。確かに私ではなく、もっと優秀な人が来た方が良かったのかもしれないとは思います。でも、あなたの兄は、ただひとつの武器である、人との協調性を生かして、努力しようと思っています。もう少し長い目で見てやってください。

 「お兄ちゃんは、口ばっかりうまいんだから」とも言われましたが、私にとってはその時その時には嘘をついているつもりはなく、真実なのです。その時の真実が嘘にならないように続ける、持久力をつけることが、人生の今後の課題であると感じています。

 ここまで書いて読み返してみると、大変偉そうで、口はばったい感じがします。でも、クリストファーの死をきっかけとして、こんなことを考えたという記録として書いておくことにします。

 もうかなり暑くなってきました。本当にエアコンは付けてくれるのでしょうか。地獄のように暑いという4月が来る前に、付けてほしいものです。

 それではまた、お元気で。

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