サトウキビジュース製造機

1993-12-30

 元気ですか。色々と変化のあった1年も、もうすぐ終わろうとしています。1年前の今頃は、ラオ語など少しも話せなかったのに、今はそれなりに何とか生活も仕事もできてしまっているのですから、おもしろいものです。

 前の手紙には、クリスマスも正月もないなどと書きましたが、ラオスにはラオスなりに色々とあり、今日から1日までは予定がいっぱいになってしまいました。

 クリスマスパーティーなどはなかったのですが、日本から色々なクリスマスカードが届きましたし、近所の女の子(以前センサバイに遊びに来た14才の子)からクリスマスカードならぬハッピーニューイヤーカードをもらい、それなりにクリスマス気分で過ごしました。佑さんが以前送ってくれたカードは、このお返しと職場の人達へのクリスマスカードとして使い、好評でした。

 先週の週末、M大農学部の教授がいきなり1人で職場にやって来ました。話しかけたら、「こんなところにも協力隊が働いていたのか」と驚いていました。普通の調査団は、県に前もって話を通してから来るのですが、この先生ものんきな人で、普通の観光客として1人でやって来たのです。1年ほど前に1度来たことがあるそうです。その頃だとちょうどMさんが最初の協力隊員として赴任したばかり、サバナケットに協力隊がいる事を知らなくても無理はありません。関西弁のとても気さくな人だったので、色々とお話をし、資料が欲しいと言うので以前まとめたもののコピーをあげました。

 次の日ボワカムさんがやって来て、日本から調査に来た人がいるそうだが、ぜひ会いたいと言うのです。彼は県の日本人係ですし、今までの調査団は全て彼を通していました。今回のM大の先生は知らずに彼を無視した形になってしまったのです。ボワカムさんも、何とかしてもう一度日本に行きたいという希望があるため、日本から調査に来る人がいるとずっとつきっきりで熱心に世話していました。

 なんで私のところに聞きに来たかは分かりませんが、頼まれるとほっておくわけにもいきません。昨日M大の先生が、Mさんが働いている農場を見学に行くと言っていたのを思いだし、バイクで行ってみました。

 町から15kmほど離れた農場、ターサノに行ってみるとMさん1人だけがいました。職員全員で、 田舎にある所長の実家へ葬式の手伝いに行き車が壊れて帰れなくなり、もう1週間もMさん1人で管理しているのだそうです。まったくのんきな話です。結局M大の先生とはすれ違いになったらしく会えませんでしたが、Mさん自慢のかぼちゃ畑を見せてもらいました。

 ターサノでは稲を作っていましたが、この夏、水揚げ用のポンプが壊れ、稲は立ち枯れになってしまいました。かぼちゃなら水が少なくても育つし、輸送が簡単で、商品価値も高い、と思いついたMさんは、市場からカボチャを買ってきて種を抜いて植えたのだそうです。

 Mさんが任期を終えて帰国するのは、来年の3月末です。「それまでには、できるはずなんですがね」と嬉しそうに目を細めながら、まだ30cmくらいのカボチャの苗を見つめていました。

 他にも、カボチャの根に接ぎ木したキュウリの苗も見せてくれました。こうする事で、水の不足に強くなるのだそうです。今までラオスでは、誰も接ぎ木の事を知らなかったそうです。機械が故障しているので職員全員が手掘りで作ったというカボチャ畑と、接ぎ木したキュウリを見たら、妙に感動してしまいました。

 今回うまく行けば、Mさんが帰った後もカボチャ作りと接ぎ木の技術は、ずっと伝えられていく事でしょう。お金を出すと言う事だけではなく、こいう形で協力していく事こそ、本当の援助なのではないかななどと思ってしまいました。

 この1週間、私の仕事の方は、牛のワクチン注射、犬の往診など、平穏無事に過ぎていきました。少しサボっていた専門用語集のためのカード作りにも勢を出し、やっと1000語を超えました。

 ヴィエンチャンのワクチン工場の件に付いては、あれからあまり進展はないようです。「もしワクチンが作れなくなったら、来年からどうするんだろう」と、周りの人達に聞いても「さあどうなるんだろう」と言うばかりです。それでも、上の人達も少しは考え始めたらしく。それまで各県がワクチン工場に対して未払いだったワクチン代を、精算させようとしているようです。サバナケットは、少しは払っていたようですが、隣のサラワン県などは今まで払った事がなく、総額700万キープ(約140万円)にもなっているそうです。

 こんなやり方をやっていたら、黒字になるわけがないですよね。逆に言えば、各県が未払い分をちゃんと払えば、充分やっていけるのかもしれません。慌てて大使館に頼みに行った私のほうが、バカだったのかもしれません。まったく、ぎりぎりになるまでは、自分達で何とかしようと思わないのでしょうか。もっとも、この未払い分を各県が払えるかどうかと言えば、難しいと思います。そう思えば、私がやったことは、そう無駄ではなかったのかもしれません。この件に付いては、もう少し様子を見ないとなんとも言えないようです。

 手紙を書いているうちに、今日はもう30日。今年も後1日となってしまいました。昨日は、Aさんの働いている自動車整備工場主宰のパーティーに招かれて行ってきました。Aさんのために他の協力隊員も招いてパーティーをやろうというのですから、けっこうお金があるのは確かですが、それだけAさんが大切にされているということなのかもしれません。普段は「ホンマにラオ人はアホばかりや。はよ日本に帰りたいわ」と言っているAさんも、所長にねぎらいの言葉をうけ、 プレゼントと花束をもらい、少し感激しているようでした。

 どうせ手紙を出すなら今年中にと思いますので、今回はこのへんでやめます。明日は餅つきをして、新年を迎える予定です。年末年始の出来事に付いては、次回の手紙に書きます。

 それでは、良いお年を。

それとも、明けましておめでとうございます、かな。

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