ドンチャイ。寒いので長袖

1993-12-22

 元気ですか。やっと職場で手紙が書けるような、平穏な日々が戻ってきました。

 外は冬。木枯らしが吹き荒れています…というのは少し大げさですが、暑さに慣れた身体には、かなりこたえます。実際の温度はそれほど下がっているわけではなく、日本でいえば秋みたいなものでしょうが、こんなに寒くなるとは思っていませんでした。セーターはもちろん、トレーナーさえ持ってこなかったので、寒さが身にしみてしまいます。さっそく今日あたり、市場にトレーナーでも買いに行こうかなと思っています。

 前の手紙を書いた翌日、牛を見に行ってみると、ちゃんと子牛が生まれていました。子宮頚管をマッサージしたのが効いたらしく、手術せずにすみました。飼主の家の人達も大変喜んでくれ、帰る時にはお金まで包んでくれました。こちらでは、人間の医者もそうですが技術料というものは一切なく、治療費は使った薬の分だけです。今回の場合薬は一切使いませんでしたから、治療費は只。そんな事もあって、私とカンタボン、ドンチャイに各々2000キープずつ包んでくれました。

 ぜひ子牛の名前を付けてくれと言われ、ジローにしようと思ったのですが、こちらの人達はザ行の発音ができない事に気づきました。その時ちょうどうちの奥さんの話題になったので、トモコのコをとってトモにしました。(オスでした)意味はなんだと言うので、(本当は違うんだけど)漢字では友と書き、友達という意味だと言うと大変喜んでくれ、今度奥さんが来たらぜひうちのトモを見に来てくれと言われました。

 その家の庭先では、ラオスの代表的料理タムマックフー(パパイヤの激辛サラダ。千切りにした青いパパイヤをつぼに入れ、木の棒で突いて作る)を作る時に使う金属製のつぼや、金属製の七輪を作っていました。金属くずを溶かし(主にアルミです)、型に流し込み5分くらいで出来上がります。市場ではこのつぼを1000キープほどで売っています。1日につぼ120個、七輪を30個ほど作っているそうですから、結構お金持ちの家だったようです。

 往診の帰りに空港に行き、パクセーへの出張帰りに時間待ちしていた調整員のKさんに会い、手術用具の申請書と狂犬病のレポートを渡しました。大使館に提出する分は、ヴィエンチャン隊員のTあてにし、大使館に届けてもらう事にしました。これでやっと一段落。肩の荷が下りた気がしました。

 職場に帰るとイギリス人のニックがやって来て、自分は年末休暇で明日タイに行き(彼の奥さんはタイ人。私達が健康診断に行くウドンタニ-が実家です)、来年の初めまで戻らないが、レポートの件はどうするかと言うのです。そうです、私はニックにまで狂犬病の話をし、いずれ英語にしたいから手伝ってくれと頼んでいたのです。

 私はいつもこうです。何かどうしてもやりたい事や、欲しいものがある時、とにかくあたりかまわず周りの人達に大宣伝し、少しでも手伝ってくれそうな人がいると前もって頼んでしまいます。そして、どうしてもやらなければいけないところまで自分を追いこんでからやっと動く、というようなところがあります。この方法は、回りからの情報も集まりやすく、良い方法だとは思うのですが、時として回りの方が熱心になりすぎ、逆に引きずられるという事があります。

 とりあえずニックと夜一緒に夕飯を食べる約束をし、急いで英訳にとりかかりました。はっきり言って私の英語はもともとうまくないうえに、ラオ語と入り混じり、しかも錆付いています。それでもなんとか形になり、夜ニックに渡す事ができました。(思い起こせば、こんな事ができたのも、昔卿子叔母さんに英語を習っていたおかげかもしれません。今度機会があったらお礼を言っていたと伝えてください)

 ニックが言うには、(あまりうまくないけど)シンプルな文章で言いたいことは分かるから、正月明けまでには直してタイプしてくれるとのことでした。これで本当に一息つけました。

 夕飯は、いつも行くベトナム屋にしました。ニックはタイ人の奥さんも連れてきました。ニックは30歳くらい。奥さんは20代前半くらいで、大変きれいで明るい性格の人でした。今はホテル暮らしだけど、そのうち家を借りるから遊びに来いと言っていました。

 こう書いてみると、ペラペラと英語で会話していると思うかもしれませんが、そんな事はありません。タイの北部の言葉は、ほぼラオ語と一緒です。だからニックも奥さんの影響で、ラオ語がわかるのです。ですから、ラオスのベトナム料理屋で、日本人とイギリス人とタイ人が、ラオ語で話し合っていたのです。かなり異様な光景だったらしく、他のお客が振り返って見ていました。

 次の日職場に行ってみると、今度は牛の後産停滞です。子牛は3日前に死産し、その後胎盤が出ないままだと言うのです。飼主の車(なんとベンツです)で、10km地点にある彼の農場に行きました。

 幸い胎盤はほとんど出ていましたが、残りを引っ張り出し、ホースを使って子宮内を洗浄し、オキシトシンと抗生物質を注射しました。ところが、ここには水道がないため洗浄した水というのが大変汚く、いくら消毒薬を使ったとはいえ少し不安だったので、翌日もう一度きれいな水を持って行くことになりました。

 事のついでに自家製のイルリガート(子宮内洗浄器)も作ってしまいました。タラートに行ってポリバケツを買ってきて、蛇口をつけ、少し細めのホースをくっつけたのです。掛かった費用は2000キープくらい。前日牛の飼主にもらったお金を、有効に使わせてもらいました。

 次の日は日曜日。翌日いろいろお世話になったコンサルタント会社のSさんが帰国するというので、麻雀をしたり、話をしたり、飯を食べに行ったりと一日中付き合いました。本当に親切な良い人でした。どうせサバナケットに他の日本人が住むようになるなら、Sさんが住めば良いのにそうもいかず、Sさんは今度アフリカに行く事になるそうです。

 今週に入ってやっと落ち着き、仕事は1日に1・2匹風邪を引いた犬が来るくらいです。(それでもまあ、来た頃よりは多いのですが)昨日・今日と、本などを読んでのんびりしていました。

 明後日はクリスマスイブですが、ここは仏教国。とりたてて何もないそうです。お正月も休日はたったの1日。ラオスのお正月は4月ですから、1月1日は普段と代わりないそうです。年末のあわただしさはどこにもなく、少し寂しい気がします。31日にはまた餅つきでもやろうと皆で言っていますし、お正月も3日くらいまでは休んで、寝正月にする計画です。

 そう言えばうちの奥さんから手紙が来て、新潟行きは大変楽しかったと書いてありました。新潟にすごく背の高いビルができたそうですね。そこからの眺めは、今まで見た景色のうちのベスト3にはいるなどと書いてありました。帰ったら私も行ってみようと思っています。

 それでは、良いクリスマスとお正月を過ごしてください。多分、次の手紙が届くのは、年明けになると思います。

風邪などひかぬよう、お元気で。

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