たまには仕事
1993-11-17
元気ですか。前回の手紙に書いたように、引越しという話しは立ち消えになったため、最近少し部屋の環境整備をしています。カーテンを付けたり、テーブルクロスを掛けたり、棚を作ってみたりしています。ラオス側のほうも、ずっとここにいるならエアコンをつけてくれるそうですし、ホテル内部の吹きぬけもふさいでくれるそうです。 本当は、吹き抜けからの音楽よりも、ディスコが終わってからの酔っ払いの騒ぎの方がうるさいのですが、エアコンが付いて窓を閉められるようになれば、ずいぶん違う事でしょう。 昨日も夜中の1時ごろ、向かいの家の扉をたたいている酔っ払いがいました。向かいの家には、下のディスコで働いている女の子達が住んでいるのです。なにか店で気に入らない事でもあったのでしょうが、いい迷惑です。 カーテン用の生地などを買いに行って思ったのは、種類のなさです。安い物をと言うと、色を選ぶ事もできないのです。結局1mが700キープ(140円)の安い紺色の布にしました。カーテンレール(と言っても昔良くあった、バネのような針金にビニールがまいてある物)を張り、ホチキスでとめただけですが、結構見栄えがします。テーブルにも余り布を敷き、物置にしていた空ベッドにも敷いたので、なんだか本当のホテルのようになりました。ちょっとしたことで気分も変わるものです。カーテンを引けば、ぐっすりと昼寝ができます。かえって寝過ごすのが心配なくらいです。 こちらでは、本棚というものが売っていないので(本自体が少ないのです。サバナケットには本屋さえありません)、普通の棚を買ってみたのですが、針金でできた棚が4つくらいついただけの物で、組み立ててみると本を入れるには不安があり、結局他の小物を入れてしまいました。日本と違って、欲しいと思う物がなかなか売っていないのですから、しょうがありません。これで300バーツ(タイのお金を使うとまけてくれる事が、良くあります)、約1200円ですから、今の生活にすれば結構な出費でした。 手紙に、共同でテレビを買ったと書きましたが、いざ買ってみるとそれほど見ないものです。テレビにない生活にすっかり慣れてしまい、本を読んだり手紙を書いたりしていることが多いし、番組の問題もあります。テレビに映るのは、タイの放送5局と、ラオスの地元放送1局で、少し複雑なドラマになると、言葉がわからないので、全然おもしろくないのです。 地元の局は週3回2時間くらいしかやっていませんから、ラオ人はタイの放送ばかり見ています。ラオ人に言わせると、「タイ語とラオ語はほとんど同じだから全てわかる。ボーペンニャン(気にするな)がタイではマイペンライだ。ほら良く似てるだろ」と言いますが、私にはとても似ているとは思えません。文法は同じですし、単語もかなり共通しているそうなのですが、ラオ語の放送さえ分からないのですから、タイ語となるとお手上げです。 その上、テレビでも見ようかなと思う夜の7時から9時までは、どのチャンネルもニュースの時間。なんでこんなに同じニュースばかりと思うほど、どのチャンネルでも同じようなものばかりやっています。 こちらで人気の番組と言えば、サッカー、ボクシング、タイ式ボクシングなどのスポーツ番組。特にボクシングは、結構興奮しながら見ているようです。 最近話題の番組と言えば、火曜の夜11時からやっている、日本の女子プロレスです。タイ語のアナウンスに重なって、かすかに日本語も聞こえてきますし、懐かしいので私も見ています。夕方やるアニメも日本製がほとんどです。こんな風に世界中の子供が日本製のアニメを見ているのかと思うと、少し怖いような気もしてきます。 タイのテレビに出て来る俳優や歌手のほとんどはハーフで、整形しているのか、皆鼻の形が同じです。カンタボンに言わせると、丸い鼻はだめで、L字型の鼻が良いのだそうです。ですからドラマなどでも、主役級の人は皆ハーフでLの字型の鼻、悪役は純タイ人で丸い鼻です。タイには黒人とのハーフも多いのか、たまに出てきますが、脳天気なお調子者といった役どころです。夕方やっているおばさん向けのメロドラマの主人公は、黒人のハーフの女の子でした。異色のドラマといったところなのでしょう。 なんといっても分かりやすいのは、アクション物です。ストーリーが分からなくても見ていられるので助かります。週に何度か、アメリカ製の映画もやります。タイ語に吹き替えてあり、少し過激なシーンになると画面が消えてしまいますが、やはり見慣れているせいかストーリーがつかみやすく楽しめます。 テレビを見ていないと言いながら、これくらい書けてしまうのですから、見ていないようでも通算すれば結構見ているのかもしれません。一応テレビを買ったかいがあったということにしておきましょう。 たいへん不思議な事に、この1週間ほど仕事があり、毎日1回は往診に行っていました。以前は週2・3回あれば良い方だったのに、一体どうした事でしょうか。誰か裏で営業して回っているのでしょうか。 それに反比例するように、最近カンタボンは仕事をする気を失っています。風邪をひいていたり、バイクの調子が悪かったりしたせいもあるかもしれませんが、きれいなブレザーを着てやって来て、他の課の人に頼まれた書類書きを喜んでやっていたかと思うと午後はやって来ず、往診にも一緒に行こうともしません。 スパサイは、「もともと奴は、獣医の仕事があまり好きじゃないのかもしれない」などと言っていました。本当に困った奴です。 確かに奴は、病気の動物に対する同情心に欠けるところがあります。以前子猫が死んだ時にも、平気で笑って「死んだ、死んだ」などと言っていたので、少しむっとした事があります。彼の場合まだ学校を出てから1年くらい経っておらず、自分1人で治療した動物が治った時の喜びを知らないからなのかもしれません。 もう少し長い目で見て、この仕事のおもしろさのかけらくらいでも伝えられたら良いな、などと偉そうに思っている今日この頃です。 と、偉そうな事を書いた矢先に、カンタボンがやって来て、豚はどうなったと聞くので、豚は死んだと言うと、ニヤニヤしながら「そうかそうか、豚は死んだんだ」などと言うのです。まったくなんて奴でしょう。さすがの私も腹が立ってしまいました。 この豚というのは、先週の初めにカンタボンと2人で往診に行った豚の事です。右前肢に小さな傷があり、そこからばい菌が入り弱っていたので、毎日行って抗生物質の注射をしていたのです。でも、直りが悪く、昨日切開して膿を出したのですが、今日行ってみると死んでいたのです。もっと早く切開しておけばと悔やんでいたところだったので、奴の態度には余計腹が立ってしまいました。 ついでに書いておくと、昨日は2時間も掛けてシカの子宮脱の整復もしました。これは、子供を産んだ拍子に子宮が裏返って外に出てしまったものを、少しづつ元に戻すものです。こちらは成功し、今日行ったら元気にしていました。 悪いことがある時には、良い事もあるものです。手術や治療に成功した時の喜びは、格別なものがあります。治るにせよ治らないにせよ、せっかくラオスにまで来ているのですから、仕事がないよりもあったほうが良いですね。 手紙を書いている間に、スパサイがカンタボンに意見をし始め、とても居づらい雰囲気になってきました。 まったくどこに行っても難しいのは、人間関係ですね。 今回はこのへんで。では、お元気で。 |