路線バスが止まると物売りに囲まれます

1993-11-01

 元気ですか。前回の手紙を書いたのは先々週ですから、珍しく間が開いてしまいました。

 今日から11月。昨日までは、こちらのお祭で町中がにぎわっていましたが、今日からはまた普通の日々。昨日までのにぎやかさがウソのようです。10月は、本当に色々な人が入れ替わりにやって来て、あっという間に過ぎてしまいました。

 パクセーから200km以上の距離を自転車でやって来たM君は、予定を延ばしてサバナケットに2週間も居ついてしまい、今朝やっとパクセーにたどり着いたようです。同じパクセーのTは、一度パクセーに戻ったものの、その後すぐ注射のためにヴィエンチャンに行き、帰りにまたサバナケットに来て、今日で5日目。明日パクセーに戻る予定です。どうもこのサバナケットという町は、とても居心地が良いらしく、ついつい長居してしまうようです。

 私の場合、昔から次々友達が遊びに来て、一緒に遊んでいるうちに日々が過ぎていくというパターンが多かったように思いますが、ラオスに来てまで同じパターンを繰り返すとは思いませんでした。昔言われた、「本当にあんたは、相手変われど主変わらずで、遊んでばっかりなんだから」という言葉を思い出しました。

 でも、今回の場合は、私が皆を呼んだわけではなく、このサバナケットという町自体の居心地の良さが人を呼んだのでしょう。

 さて、少し祭について書きましょう。

 10月28日から31日までの4日間は雨季の終わりを告げる、オークパンサーという祭です。対岸のタイ側とのボートレース、ソングファが行われ、普段は静かな川沿いの道に出店ができ、どこからこんなに人がわいてきたかと思うほどの人出でした。

 28日は、ボートレースがメコン川のタイ側で行われるため、その日1日だけは自由にタイのムクダハンに渡ることができます。普段は1日3〜4便の渡し舟が、次々と出ます。本当は勝手に出てはいけないのでしょうが、ラオ人のふりをすれば大丈夫だと聞き、行ってみることにしました。

 最初はS君と2人で行こうとしたのですが、これは失敗に終わりました。彼は190cm近く背があるので、小さなラオ人達の中では目立ちすぎ、どう見ても外国人。警官に「外国人はだめだよ」と、すげなく追い返されてしまったのです。あちらにしても、多少は目をつぶるにしても、これだけ明らかにラオ人と違う人間を通すわけにはいかなかったようです。

 背が高いということで損をする事もあるのだと、嘆いていました。残念ながらS君は、ムクダハン行きをあきらめる事になりました。

 私は、ちょうどやって来たSAさん、M君、SAさんのカウンターパートのケオさんと一緒に行く事になりましたが、あっさりと通過でき、無事ムクダハンに行く事ができました。かなり外見もラオ人化してきた証拠かもしれません。

 ムクダハンという町は、タイにしてみれば小さな田舎町なのでしょうが、ラオスから行った私にとっては、充分都会に来たという雰囲気を味わえました。何しろ売っている物の量や種類が段違いなのです。久しぶりにスーパーマーケットというものに入り、色々細々とした物を買ってしまいました。

 一番大きな買い物は、温水シャワー機。約100ドルでしたが、これでこれからの寒い季節を乗り切れそうです。こちらでも12月・1月は結構寒いそうです。今でも涼しいので、夜、水しか出ないシャワーを使う気にはなれません。同じホテルの人達に相談なしに買ってしまいましたが、結局割り勘ということになりました。

 この日は自由に行き来できるとはいえ、1日中いられるわけではなく、朝から夕方6時くらいまでの間だけです。3時頃には買い物をきりあげ、サバナケットに戻り、5時から所長のブンクァンの送別会に行きました。彼は、ここから70kmくらい離れたアサパントンという町の市長になる事になったのです。とても良い人だったので残念です。

 また職場から獣医と呼べる人が減ってしまいます。いったいここの仕事は、今後どうなってしまうのでしょうか。このうえ、もしスパサイが日本に研修に行く事にでもなったら(最近彼は、急にいく気になってきたらしく、履歴書を書いたりし始めました)仕事ができる人が一人もいなくなってしまいます。人材というものが、本当に少ない国なのだとつくづく感じてしまいます。

 7・8・9月と月に1度は旅行をしており、今月はさすがに…と思っていたのですが、急に話がまとまり、祭による休日を利用して、ひとつ北の県、カムワン県のタケークという町に2泊3日で行ってきました。同行者は、CちゃんとM君。

 タケークまでは約160km。普通の路線バスで約4時間の道のりです。急なことでレセパセ(移動許可書)をとるのが遅れ、29日の朝の便には乗れず、昼12時発のヴィエンチャン行きに乗り込みました。

 タケークに着いたのは夕方。途中の道は、思ったよりもひどくなく、カムワン県に入ってからの10kmはラオスでは珍しいくらいきれいなアスファルトの道。ひどかったのは、タケークの手前10kmだけでした。

 タケークの対岸は、タイのナコムパノムという結構大きな町。そのため、タケークの町にはタイ人、ベトナム人(ベトナムに続く12号線という道も通っている)が多く、1件1件の家もサバナケットより大きく、きれいに思えます。人口的にはサバナケットよりも小さいはずですが、町の大きさは、タケークのほうが大きいように感じました。

 この町も祭の真っ最中。その祭の一番中心、川岸にあるホテルに泊まることにしました。

 次の日は、町から12kmほど離れたところにある鍾乳洞に行きました。日本と違って案内図などありませんから、たずねながら行かなくては行けません。小さなコーヒー屋で道を聞いたら、そこにいた19才の男の子が、洞窟まで案内してくれました。彼だけが知っているようなルートを伝って、20〜30m程ある洞窟の天井近くまで連れていってくれました。もうひとつ16km地点にある鍾乳洞も見たいというと、今度は26才になるお姉さんが案内してくれました。本当に親切な人達です。

 その後いったん町に戻り、タートムワンカオというお寺を見学し次の朝6時にバスが出るとと聞いたので、バス停近くのホテルに泊まりました。

 つぎの朝6時前にバス停に行くと、バスはもう満員。私とM君は、バスの天井に乗る事になりました。女性は上に乗せないということで、Cちゃんは無理やり運転席の横に詰め込まれました。振り落とされないようにしっかりつかまり、ほこりにまみれ、道端の木に引っかからないように頭を下げながら約4時間。何とか無事サバナケットに到着しました。なかなか貴重な体験でした。

 休暇を終えて職場に行ってみると、ちゃんと仕事が待っていました。郊外にある大きな製材所で飼っているシカの口内炎の治療です。本当に色々あるものです。この製材所には他に、クマ、牛、ヤギ、鶏などもいました。

 11月になったとたんに涼しくなり、ジャンパーを着るような気温になってしまいました。ラオ人の中には、大げさに皮ジャンを来ている人さえいます。年中暑い国かと思っていたのに、そんなことはないようです。

 日本も寒くなっていく季節、くれぐれもお元気で。

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