アハーンローク(食の祭)にて

1993-10-22

 元気ですか。葉書ありがとう。自宅の屋上に椅子と机を持ち出し、昼ご飯を食べたそうですね。なんだかほのぼのとしてしまいました。いつもと違う場所でなにかを食べるというだけでも、結構気分が変わって良いものですよね。

 今住んでいるホテルの屋上でも良く宴会をやったりしますが、これもなかなかのものです。夕方行くと、夕日が沈むにつれて、普段はどんよりとした色をしているメコン川がキラキラと輝き始め、やがてオレンジ色の一筋の光が、夕日の沈む対岸のムクダハンとこちら岸のラオスを結びます。まるで光でできた橋のようです。

 夕日が沈むにつれ、その光は消えていき、今度は空が茜色に染まります。だんだん周囲は暗さを増していきます。夕日が沈みきってからも、まるでなごりを惜しむかのように、残光がサーチライトのように何条かの筋を作ります。やがてそれも消え、薄明かりだけが残ります。

 目を天上に転じると、今度は星たちの時間です。結構ほこりっぽい町なのですが、それでも日本では見られないくらいの星の数です。日本と違って北極星は地平線に近く、オリオン座が頭上にあったりします。

 もう一度メコン川のほうを見ると、すっかり空も暗くなっており、今度はムクダハンの街明かりがメコン川の水面にうつります。ラオスには無い大きな赤いネオンも見えます。気づくともうすっかり夜。

 こうして1日が終わっていきます。

 屋上に1人でボーとしていると、こんな情緒も味わえるのですが、この1週間はそんな暇も無く、本当にバタバタと過ぎていきました。

 前の手紙を出した次の日、14日(木)にはパクセーに行っていた5人が、TとM君とともに戻ってきました。ビエンチャンから来た5人とTは、バスでお昼くらいに着いたのですが、なんとM君は自転車でやって来ました。

 パクセーからは約240km。朝3時に出て、着いたのは夜7時。途中合計で2時間くらい休んだとは言っていましたが、たいへんなものです。途中の道は車もあまり通らず、未舗装です。いくら日本でトライアスロンをやっていたという、殺しても死なないような奴とはいえ、もし何かあったらたいへんだったとは思いますが、全身真っ黒になりながらも無事やって来ました。もちろんこんな事を事務者が許可するわけがないので内緒です。

 彼が到着したのは、皆で夕食後アイスクリーム屋にいた時でした。アイスクリーム屋の人達に、彼は自転車でパクセーから来たのだと言うと、始めは信じられなかったようですが、彼の汚れ方を見て本当とわかり、奥でシャワーを使わせてくれました。とにかくそのままでは椅子にも座れないくらい汚れていたのです。

 その後、夕飯を食べさせにベトナム屋に連れて行くと、ベトナム屋のおばちゃんも事情を知って感激し、食事代を只にしてくれました。

 ラオ人でこんな事をやろうという人は、まずいないと思いますから、パクセー・サバナケット間を自転車で来たのは、多分彼が最初でしょう。たいしたものです。私にはできませんし、やる気もおきませんが、ベトナム屋で本当においしそうにビールを飲む彼を見ていたら、少しうらやましく思ってしまいました。

 翌日はTと、Mさんが働いている農場を見学に行きました。市内から約15km。電気は来ていますが水道はなく、しかもポンプの故障でメコン川から水をくみ上げる事ができなくなり、かなりの稲が立ち枯れになっていました。

 Mさんはサバナケットに来た当初、ここで半年間も生活していたのですから、たいしたものです。水浴びするにも、井戸まで約500mも歩かなければならない生活。近くに店などありませんから、週末になると自転車で町まで買いだし、もちろん他に日本人はいない、という生活だったそうです。

 バイクが貸与されてから、やっと街中に住めるようになったとはいえ、毎日15kmも通っているのですからたいへんです。

 それに比べて私など、街中に住んで職場まで5分とかからないのですから、あまり贅沢を言える立場ではないかもしれません。

 Mさんは、神戸出身で私と同い年。女の子1人のお父さんで、本当に穏やかな良い人です。

 ヴィエンチャンから来た人達もパクセーから来た2人も、サバナケットは本当によいところだと言ってくれます。住んでいるラオ人も、他に比べて穏やかで親切だし、サバナケット隊員も皆良い人ばかりだなどと言ってくれます。私もそう思いますが、ラオ人と隊員との関係や、隊員間の関係の良さというのは、一番始めにこの町にやって来たMさんの影響もあるのではないかと思います。

 最近日本語をゆっくりと穏やかに話すようになったような気がします。これもMさんの影響かもしれません。来年の3月には任期を終えて日本に帰ってしまうのですが、今から残念です。

 その日は夕方カレーパーティー(別に皆でカレーライスを作って食べただけですが)、翌日の土曜は、餅つきと流しソーメンの予行練習後、ゆかたで集まって夕涼みがてらビールを飲み、日曜はボクシング見物。(地元の事務の人達がやったのですが、めちゃめちゃでおもしろかった)

 月曜は翌日のアハンロークという祭の準備、夜はNさん(ヴィエンチャンの助産婦さん)の誕生会、火曜は食の祭典、アハンロークと毎日遊びまくり、水曜日にヴィエンチャン組は帰っていきました。

 アハンローク自体は想像していたのとはまったく違い、まじめに講演会をやっている会場の脇で餅つきと流しソーメンをやり、公演会を聞きに来た人達にふるまうといった地味な物で、一般の人が気楽に来られるようなものではなかったのですが、まあそれはそれなりに盛り上がり、一応成功しました。

 この祭は農林局の主催でしたから、祭の準備といえば仕事をサボれたのですが、それでも少しは職場に行き、少しは仕事もしていたのですから、たいへん多忙な1週間でした。

 本当は昨日職場で手紙を書こうかなと思っていたのですが、豚の往診が入り、行ってみると胎児の子宮内死亡。なんとか取り出さなくてはいけない事になってしまいました。正常な胎児も流産させる事になってしまいますが、それはしかたありません。まだ60日で小さすぎ、手で取り出すというわけには行きません。日本でなら、注射1本ですむ事かもしれませんが、ここでは薬が手に入りません。

 結局45度くらいのお湯で子宮口を暖める事で子宮口を開き、流産させるという方法をとる事にしました。バケツにお湯を入れて持ち上げ、そこにホースを突っ込み、サイフォンの原理でお湯を流したのです。ものの本によれば、これで24時間以内に流産するとのことですが、どうでしょう。今日の午後にでも見に行ってみるつもりです。

 そろそろ昼休み。昼飯を食べに行ってから昼寝の時間です。

 それではまた、お元気で。

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