メコンの夕焼け

1993-10-14

 元気ですか。タロウの件では、本当に参ってしまいました。かなり気持ちが落ち込んでしまったのですが、それも1日だけ。次の日からは、またばたばたと日々が過ぎ、落ち込んでいる暇もありませんでした。

 次の日の朝、ヴィエンチャンから5人も女性が遊びに来たからです。同期のT、ヴィエンチャンの助産婦、Nさんと、そのカウンターパートのラオ人女性、ヴィエンチャン郊外の病院の看護婦、Mさん、ルアンプラバンの獣医、Sさんの5人です。

 接待係は私ということになっていましたので、部屋割りをしたり、職場から車を借りて観光したりと、大忙しでした。(もちろんドライバーは、カンタボン。日本人の女性が来るというので大喜びだったくせに、いざ来てみると恥ずかしがって、行きたくないなどと言うので、困ってしまいました。)おかげで落ち込んだ気分もすっかり回復し、助かりました。

 彼女たちは2泊してパクセーに行き、明日、今度はパクセーにいるTとM君も一緒に、またサバナケットに戻ってくる予定です。本当は今週末に祭りがあり、皆その手伝いにやって来てくれたのですが、祭りの予定が来週の火曜に変更になったため、手伝うというわけにはいかなくなってしまったのです。

 ヴィエンチャンからの5人は、日曜には帰ってしまいますので、このままでは何をしに来たのかわかりません。祭りの予行演習ということで、土曜に餅つきと流しそうめんをやることになりました。

 ところで、以前書いた引越しの話も、込み入ってきました。日本から経費節減のお達しが出たらしく、事務所側がお金を出さないと言ってきたのです。もともと住宅費は、派遣国側が出すことになっているのですが、今までラオスだけは例外で、すべてJOCVが払っていたのです。なぜラオスだけが例外なのかは良くわかりませんが、とにかく今の調整員のKさんは、いきなり原則を持ち出してきたのです。

 いきなりそう言われたラオス側は、戸惑ってしまいました。

 私の住んでいるセンサバイホテルの3階部分は県の持ち物で、ワンフロアに6人が住み、1ヶ月150ドル。この、家賃を150ドルに押さえることで、県側は住居費の一部を負担している気になっていました。それに、もうひとつのシーラーンホテル1部屋1ヶ月150ドルで、そちらは全部JOCVが払っていたのですから、県側が戸惑う気持ちもわかります。以前、事務所側は住居費として一人150ドルまでは出せるといっていたのに、どうなってしまったのでしょうか。

 隣の部屋のOさん(農林統計)は早々に引越しを決め(私の歌がうるさかったので引越しを決めたといううわさもありますが)、自分で家賃を払い、10日ほど前に引っ越してしまいました。私は自分でお金を出してまで引っ越す気はないので、もう少し様子を見るつもりです。

 ディスコの音には慣れましたが、閉店後の酔っ払いの大騒ぎにはなかなか慣れません。

 もうひとつ、少し悩んでいることがあります。それは、研修制度で誰を送るかということです。以前にも書きましたが、これは日本がお金を出し、隊員と一緒に働いているラオ人1人を10ヶ月間日本で研修させる制度です。

 私の場合、いっしょに働いているのは、カンタボンと、ブルガリア帰りのスパサイくらいしかいないので、あまり選択の余地はないのです。スパサイは出張ばかりであまり事務所にいないし(実際に働けるのは彼しかいないので、どうしても彼ばかりが働くことになります)、本人も、行きたくない訳ではないけど、日本語を勉強する暇がないと言っています。

 カンタボンの場合、経験が少なく、かなり勉強しなければいけないのに、やる気があるのかないのかさっぱりわかりません。「日本に行きたいから、毎日仕事が終わった後1時間、日本語を教えてくれ」と言ったかと思うと、次の日には「日本語は難しいよ。英語のほうが良いかもしれない。日本に行くんじゃなければ、日本語を勉強する必要はないよね」と言うのです。まったくしょうがない奴です。

 今サバナケットには、日本語か英語を習いたいという人が大勢いるようです。日本語については、日本の調査団がやって来たり、副知事のスカスムさんが学校の卒業式で、「日本語を勉強すれば日本に行くチャンスがある」と言ったからかもしれません。

 Cちゃんの学校(農業学校)では、日本語の時間までできてしまい、今彼女は日本語を教えているのだそうです。

 各職場でも、色々な反応を示す人がおり、すっかり日本に行ける気になって履歴書まで持ってきた人もいたそうです。

 うちの職場の場合、そうなる前に職場で、誰でも行けるわけではないし、条件があり、テストもあるという事をかなり大げさに行ってありました。そのため逆に、日本に行く事に対してさめており、このままでは、送る人がいないまま任期が終わってしまうかもしれません。せっかくのチャンスですから何とかしてあげたいとは思うのですが、なかなか思うようにいかないものです。

 英語に対しては、事務長のパンシーなどが燃えており、私に英語を教えてくれと言うのです。隣の部屋の水産課には、国連派遣のバングラディッシュ人のボランティアがおり、もちろん英語ができますし、その人に付いているラオ人も英語ができます。彼らに頼めば良いと思うのですが、なんとなく頼みづらいらしいのです。

 「俺もあまりできないよ」と言っても、それでも良いと言うので、パンシーと、どっちつかずのカンタボンに毎日1時間仕事の暇を見て、英語を教えるはめになってしまいました。いったいどうなるのでしょう。

 新しく来たMさんは、ラオ人がやっている英語教室に通い出したと言うのに、私は逆に英語の先生をやることになってしまったのです。でもまあ、本当に何も分からない人達相手ですから、教えながら自分も英語の復習をしようかなと思っています。

 もう雨季は明けたようで、あまり雨が降りません。結構涼しく、日本の秋晴れのような天気です。

 それではまた。お元気で。

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