ラオスの牛は小柄です
1993-10-07
元気ですか。 私がタロウを始めて見たのは、10月1日のことでした。前日の9月30日はラオスのお祭、日本で言えばお彼岸のような日にあたります。日中の猛暑がやや和らいだ夕方、涼しさを求めて町に出ると、家々の軒先にローソクがともされていました。その昨日までの暑さがうそのような、涼しい日のことでした。 タロウは、生まれてまだ3日目の子牛。もちろんその時はまだ、名前などついていませんでした。 「奇形の子牛が生まれた。肛門がないんだ。」と言う連絡があり、さっそく往診に行きました。診てみると、確かに肛門がありません。本来あるべき位置に何もなく、ツルンとしていました。このままほっておけば、確実に死んでしまいます。さっそく午後から手術をすることになりました。 私は大学を卒業以来ずっと小動物専門でやってきて、もちろん子牛の肛門形成手術なんてやったことがありませんでした。 「難しい手術になるかもしれないよ」 と言うと、周りのラオ人達は、「大丈夫、大丈夫。やるだけやって、ダメなら食べれば良いのさ。子牛の肉はうまいからな。」と、もう半分宴会気分です。 もちろん手術のやり方は知っていました。肛門がふさがっているだけなら、穴をあけて縫うだけの比較的簡単な手術です。でも、もし…。頭に浮かんだ最悪のケースは打ち消し、良いほうに考えることにしました。 さて、やるとなったら手術器具集めです。そのころ、私のいたサバナケット県農林局獣医課という所には、まったくと言って良いほど器具がありませんでした。幸い同僚のラオ人が、個人的にいくつか器具を持っていたので、メス、ハサミ、2本の鉗子、1本きりの手術針がそろいました。抗生物質と局所麻酔薬は、事務所にありました。糸もなんとか手に入り、一応手術の用意が整いました。 午後2時半手術開始。消毒液に器具をつけ、手を洗います。暇なのか大勢の人が集まってきて、子牛を農家の庭先にある古いベッドの上に左側を下にして、押さえつけています。本来なら肛門があるべき場所に局所麻酔の注射をし、毛を剃り、ヨードチンキを塗りました。 メスで皮膚を切開し、ハサミで少しずつ広げていきます。すぐに直腸があると思っていました。ところが、ないのです。指を入れて探ると、骨盤にも奇形があり、直腸が通るべきところが極端に狭く、指1本がやっと通るくらいしかありません。もっと奥を探ると、やっと指が届くくらいのところに直腸の端のようなものがありました。直腸がここまでしか来ていないのです。ここからのアプローチは無理です。他からのアプローチを考えなければなりません。傷口を一度閉じ、考えました。もうすでに周りには、あきらめムードが漂っています。 臍ヘルニアもあることだし、ここから開けて、ついでにヘルニアも治すことにしました。早速消毒し、切開しました。しかし、ここからではあまりに遠過ぎて、直腸を引っ張り出すことはできませんでした。回りはもう完全にあきらめています。今にも焼肉パーティーの準備をしだしそうな勢いです。ここでやめたら、この子牛は、本当に今日の夕食になってしまいます。 今度は、右側下腹部を開けることにしました。切開し、腸を引き出し、手を入れます。なんとか直腸の端まで届きましたが、回りとの癒着が激しいのです。先ほど仮に閉じた肛門の位置の傷を再び開き、そちらからも指を入れ、両側から指先で少しずつはがしていきます。なかなか取れません。汗が流れます。これさえ出せば、子牛は助かる。そう信じて続けました。
急にエッセイ風に始めた手紙。この後この話は、直腸の最期の端をやっと引き出せた喜びを語り、骨盤が狭すぎるのため本来の位置ではなく、右下腹部に直腸端を縫いつけ肛門とし手術を終わるのです。3時間にも及ぶ手術になってしまったため、子牛の衰弱は激しいものがありました。 ところが次の日行ってみると、ちゃんと歩いていて、母牛の乳を飲んでいたのです。私は感動し、この子牛をタロウと名づけました。私が「タロウ」と呼ぶと、回りに集まっていた人々も喜んで、「タロウ。タロウ」と呼んだのです。 という風に続く、とても感動的な話で、「私もいっぱしの獣医だったんだよ。すごいでしょ。エヘン、エヘン」となるはずだったのですが、これ以上書く気が無くなってしまいました。 この手紙を途中まで書き、往診に行ってみると、タロウは死んでいたのです。今日は10月7日。手術からちょうど1週間しか生きられなかったのです。 一昨日までは元気で、母牛の乳も良く飲んでいたのですが、昨日は元気がなく寝てばかり。いろいろと治療はしてみたのですが、だめでした。死因は、いろいろありすぎて一口ではいえません。あんなところで手術をしたのですから、当然腹膜炎が考えられます。直腸を出す位置をもう少し中央にしておけば、よりスムーズに便が出ただろうということ。一番の原因は、タロウの腸のぜん動運動自体が弱すぎたのが原因でしょう。 飼主のおばさんは、「もし手術してくれなかったら、こんなに長く生きられなかったんだから…」と慰めてくれましたが、心は晴れません。今回はこれ以上書けないので、これで終わります。 でも心配しないでください。きっと次回の手紙では、元通り元気です。それではまた。お元気で。 |