ワットプー
1993-09-02
元気ですか。実は前回の手紙は、封をしたまま旅行中持ち歩いてしまい、結局サバナケットに着いてから出しました。ですから、あの手紙も一緒にパクセーを旅行した来たわけです。旅行中の出来事についてはあの手紙に聞いてもらっても良いのですが、一応私が翻訳しておきます。 8月28日(金)の朝、ヴィエンチャンからの飛行機に乗ってきた、T君と事務所の現地スタッフのSさんと空港で会いました。そしてそのまままた飛行機に乗りこみ、サバナケットから南に約200km、約1時間でパクセーに着きました。 3ヶ月間、たった1人の日本人としてパクセーで生活していた同期のTと、1週間前に来たばかりのM君の出迎えを受けた後、車をただで借りるために省庁回り。5ヵ所目くらいでようやく翌日からの車を確保しました。午後はパクセー市内の王宮跡や、寺、市場などを見学し、映画館の上のホテルに泊まりました。 パクセーという街は、セドン川とメコン川が合流するYの字型の三角形部分にできた街ですから、街の回りは川で囲まれたようになっています。川の水面も雨季のせいかかなり高く、そこを大小様々な船が行き来しています。水と緑の街といった風情です.。タラート(市場)はコンクリート作りの2階建てで、品数も多く、回りも商店街のようになっており、サバナケットよりにぎやかな感じがします。 パクセーの人口は約4万人、サバナケットは約6万人ですから、一応サバナケットの方が大きいのですが、サバナケットの場合川の対岸はすぐタイで(パクセーの対岸はまだラオス。国境まで約40km)、地元の人達は気楽に行き来し、ちょっと高い物はタイで買ってしまいます。そのため、地元のタラートをきれいにしようという意識が低いのかもしれません。サバナケットのタラートでは、テレビさえ売っていないのです。 次の日は、約束の時間に2時間遅れてやって来た車に、日本人3人(私、T君、M君。Tは車の狭さと体調のため、行くのをやめました)、ラオ人4人(Sさん、地元の役人2人、ドライバー)が乗りこみ、未舗装の悪路を南下しました.。50kmほど南下し、船に車ごと乗って川を渡りしばらく走るとワットプー。 ここは12世紀くらいに建てられたクメール様式のお寺(カンボジアのアンコールワットと同じ頃、同じ様式)。小山を利用して建てられている広大なお寺でした。入ってすぐに男の宮殿、女の宮殿といわれる休憩所が男女別に作られており、途中の階段も、日本の神社にある男坂女坂と同じように作ってありました。ここの責任者の人が色々と説明してくれたのですが、半分も分かりませんでした。もっとラオ語が分かるようになってから来れば良かったと思いました。 再びメコン川を船で渡ってもとの道に戻り、さらに100kmほど南下し、メコン川に浮かぶ島コーン島(6×30km。人口六万人)へ行く船の渡し場に着いた時には、もうとっぷりと日が暮れていました。月明かりの中、小船でメコン川を渡りコーン島で夕食。その晩は島内にある役所の寮で泊まる予定でしたが、「ホテルに泊まった方が快適だよ」とSさんは言い、「全員がホテルに泊まる予算は無い」とT君は言うのです。相談の結果、日本人はホテルの2人部屋に3人で泊まり、ラオ人4人は寮に行く事になりました。 翌日は小船で、カンボジアまであと100mくらいの所にあるカマオ島に行きました。地元の人達は平気で行き来しており、行っても大丈夫だといわれましたが、ラオスの協力隊員で一番ついていない奴、T君が一緒だったので行くのをやめました。(彼はすでに2回自転車を盗まれ、ビデオを壊し、旅行の最後の日にはホテルの窓まで壊してくれました。) そのあとまた舟を乗り継ぎ、前日コーン島に渡った船着場に戻り、再び車で約30km南下し、コーンの滝に着きました。ここではメコン川が滝のようになっています。最も日本で言う滝という感じではなく、激流と言った方が良いかもしれませんが、迫力があり見ごたえがありました.。 それから一気に180kmを北上し、パクセーに戻って夕食になりました。問題が起きたのはその時です。 「実はコーン島に着いたのが遅すぎたので寮に行く事ができず、ラオ人達は民家に泊まり、毛布も蚊帳も無いところで寝た。今回の旅行が成功したのはこの人達(役人)のおかげだ。だから…」 などと、お金を要求するような事を、Sさんが言い出したのです。 確かに、一緒の所に泊まらなかったのはまずかったかなとは思いました。しかし、Sさんには最初に食事代と予備費として、かなりのお金を渡してありましたし、旅行中のガソリン代や飲み食いはこちら持ちでした。お金が足りないと言いながら、常に無防備に札束を見せ歩いたT君にも否があるとは思いますが、ここでお金を払う理由はありません。横にいるT君とM君も雰囲気を感じて、じっと押し黙っています。2人ともあまりラオ語がうまくないので、サバナケットでなら一番へたな私が通訳と調整役をやっていたのです。 仕方なく、「今の私達にできる事は、あなた方に感謝する事だけです。ありがとう、ありがとう」 などと言って握手し、「やあ、本当に疲れましたね_。今日は早く寝ましょう」 などと言って帰ってきました。なんだか芝居をやっているような3日間でした。 普通ではめったに行けないところにただで行くことができ、旅行自体は良かったのですが、少し気疲れした旅でした。 ところで今、私の膝の上に2か月くらいの黒い子猫がいます。2週間ほど前にCちゃん(23才女性。農学校教師)拾ってきたのですが、彼女が任国外旅行に行く間、Sさんが預かっていたのです。ところが、シーランホテルのオーナーに猫を飼わないように言われ、今度はMさん(私と同い年のサバナケット第一号隊員)が職場の農場につれていったのです。 そこに住みつけば問題無かったのですが、もともと弱かったのか、環境が悪かったのか元気も食欲も無くなったため、昨日から預かる事になったのです。どうもこういう時獣医という職業だと、断れないので困ります。昔高校生くらいのときに拾った子猫そっくりなのも困ります。あれ以来、一時の同情だけで動物を拾うべきではないと思っていたのに…。 薬を飲ませたせいか、少しは食欲も戻り元気になってきました。一応Cちゃんが帰ってくるまでは預かり、帰って来たら彼女と相談して、この子猫の身の振り方を決めようと思っていますが、こうして膝の上で眠られると、本当に可愛いので困ってしまいます。 人と付き合うのも大変ですが、動物と付き合う距離というのも本当に難しいものです。 それでは、今回はこのへんで。お元気で。 |