カオピヤック屋の女の子

1993-08-18

 元気ですか。あっという間に一週間が過ぎてしまいました。まだ手紙の返事に追われる日々が続いています。ちょうど、以前みんなに出した手紙の返事が返ってくる時期らしいのです。書いても書いても次々にまた来るので、なかなか終わる事がありません。

 数えてみたら、この2週間で26通も手紙を書いていました。我ながら良く書いたものだとあきれています。タイで買ったこの便箋も50枚くらいあったのに、今回のこの手紙で終わってしまいます。

 日本にいたときはほとんど手紙を書かず、それほど筆まめな方ではないと思うのですが、来る手紙が1通1通それぞれおもしろく、つい返事を書く事になってしまいます。嬉しい賽の河原といった所でしょうか。あまり同じ事ばかり書いていると、書いていて飽きてしまうので、1通書いては封を閉じるようにしています。こうするとたとえ同じ事を書くにしても、前のを写すのと違って同じ事を書いても少しずつ変わっていくのでおもしろいものです。1人1人、相手を思いながら書くので、書き終わったときにはなんだかその人と会話をした後のような気さえします。新しい楽しみを知ったような気がしています。

 新しい楽しみといえば、昔読んだ本の中に「私が子供に教えたい喜びは3つある。ひとつは泳げた時の喜び、ひとつは楽器ができた時の喜び、そしてもうひとつは外国人と意思が通じた時の喜びだ。」という言葉がありました。図らずもこのラオスに来た数ヶ月の間に、この3つの喜びを知ったような気がします。

 泳ぐ事については、小さいときから泳げてはいたのですが、プールで平泳ぎをするといつもすぐに疲れてしまい、プールというのは海に比べてなんて浮きにくいのだろうと思っていたのです。ところがこれは、私の泳ぎ方が悪かったのです。いつも平泳ぎをする時に頭を水面に出していたのですが、これが疲れる原因だったのです。

 こちらのプールに行く時、ラオスの水は危ないかもしれないと思い、水泳用のメガネを買ったのですが、これが正解でした。せっかくメガネを買ったので水に頭をつけるようにするとどうでしょう、こうするとまったく疲れることなく泳げてしまったのです。やはり正式な泳ぎ方というのは疲れにくいものでした。何でこんな簡単な事に何年も気づかずにいたのでしょうか。

 二つめはハーモニカです。こちらに来る時にギターは持ってきたのですが、ギターに飽きた時ふと、ハーモニカなら吹けるのではないかと思ったのです。ちょうどS君が、家から送ってもらう物があるというので、ついでにハーモニカを頼みました。1ヶ月ほどして荷物が届き、さっそくハーモニカを吹いてみると、不思議な事に吹けるのです。小学生の時にやって以来ほとんど練習などしたことが無いのに、知っている曲ならだいたい吹けてしまったのです。

 三つめの事については、毎日のように味わっています。自分でも、自分が話すラオ語はまだまだ片言だと思っているのですが、毎日会っている人達はそれでも分かってくれるのです。相手の言う事も、単語自体は分からなくても、なんとなく分かってしまう事が良くあります。同じ人間同士、何とかなるものなのですね。

 ラオスのような、心や時間にゆとりのある国にいると、自分自身を振り返る時間があります。こんなふうに自分の中の物を再発見できたのも、ラオスに来たればこそなのでしょう。

 ぜひ甥の悠司にも、将来この3つの喜びを知ってもらいたいものだと思います。だからといって慌ててピアノを習わせるとかではなく、なぜかふと気づくと…という形の方が望ましいと思いますが、なかなか難しいでしょうね。これについては、悠司がもう少し大きくなったときに、遊び人のおじさんから一言という形で伝える事にしましょう。

 そういえば前回の手紙は、子猫が死んだために少し中途半端に終わっていたかもしれません。でも食べ物のの事については、また書く機会もあるでしょうから、あの後の事について書きましょう。

 子猫が死んだ後、私が「ステロイド剤が欲しかった」と嘆いていると、スパサイがそれはなんだと聞くのです。使った事も無いし、聞いたことも無いと言うのです。(後で助産婦のSさんに聞いたら、病院でも使っていないそうです)それは、こうこうこういう薬で、こういう効果があるがこういう危険もあるという事を、辞書や絵を使って説明しました。彼も非常に興味を示し、バイクで自分の家に帰ってブルガリア語の専門書を持って来たりもしました。結局30分以上かけて説明したところ、彼も薬の重要性に気づき、事務長に話して買ってもらうと言っていました。子猫は死んでしまいましたが、それをきっかけに新しい知識を伝える事ができ、落ち込んだ気持ちが少し回復しました

 よっぽど個人的に日本から薬を送ってもらって、いざという時に備えようかとも思いましたが、やはりそういう安易な方法はとるべきではないと思い直しました。確かに日本から薬を送ってもらえば、目の前の動物は助かるかもしれませんが、それは単に自己満足でしかありません。2年経って私が帰れば終わり。次に繋がる事は無いのです。それよりは地元の人に必要性を理解させ、地元で薬を手に入れた方が、次に繋がっていくのだと思いました。

 ステロイド剤にしても、ラオスに無いわけではないのです。現に、子猫が死んだ前日に、「豚がサソリに噛まれたけどどうしたら良いか」と地方にいる獣医(?)が相談に来たので、アトロピンとステロイドを注射してみたらどうかと言うと、薬屋で買って来ていたのですから。どこかの薬屋で売っているのは確かなのです。

 と、なんだか立派な事を書いてしまいましたが、その反面、今のように犬や猫を診る機会があると分かっていれば、少しくらいは薬を持って来たのにと後悔しています。こちらで売っている薬は1回こっきりのアンプルが多いので、犬やネコには使いづらいのです。

 舌の根が乾かぬうちになんですが、もし出入りの薬屋さんで、別紙に書いた薬が手に入るようでしたら送ってもらえないでしょうか。箱詰めで何本も送られても、かえって困ってしまいます。本当にいざという時、こちらでどうしても薬が手に入らなかった時に使いたいので、1本ずつでも良いのです。もしまとめて買わなければ売ってくれないならいりません。開業している友達に頼む事にします。

 もし小包で送るのが不安だったら、9月にうちの奥さんがラオスに来るときに持ってきてもらうのはどうでしょう。もし早めに手に入るようでしたら、東中野に送ってくれれば、持ってきてくれると思います。手に入るかどうかだけでも早めに連絡ください。

 それとは別に送ってもらいたいものがあります。浴衣と帯と下駄を送ってもらいたいのです。実は今年の10月と来年の3月に、サバナケットでお祭りのような物があるのですが、その時にサバナケット隊員でテントをひとつ借りて、日本紹介の展示をやろうという計画があるのです。日本紹介のパネル写真を飾り、日本の民芸小物などを置き、餅つき(臼と杵は今作っています)や、流しそうめんをやろうというのです。その時に普通の服ではおもしろくないので、手に入る人は浴衣でという事になったのです。もし家に日本的な小物(わざわざ買う必要はありません)があったら、それもお願いします。

 それと関連して広子さんへのお願いがあります。祭りの半纏も何とかならないかと思うのです。この前、ターちゃんと山ちゃんにハガキを出したときに葉月会の昔の半纏を10枚くらい借りられないかと書いておいたのです。その件がどうなったか電話して聞いてみて欲しいのです。(紺半纏では大げさ過ぎますし、厚くて送るのが大変です)もし何枚かでも貸してもらえるとありがたいのですが…。この件についてもなるべく早く返事をください。借りられないようなら他の手段を考えます。

 なんだか最後はお願いばかりの手紙になってしまいましたが、私も明日で36歳の誕生日を迎えますので、誕生日のプレゼント代わりと思い、よろしくお願いします。

 この1週間は、なんだかバタバタと過ぎて行きます。この前の日曜には、ヴィエンチャンからCさん(27才女性。レントゲン技師)が遊びに来たので、カンタボンが作ってくれたハシゴで屋上の建物の上に上がり、サバナケット隊員全員でメコン川の夕日を見ながらビアパーティーをやりました。その次の日の昼休みには、サバナケットの唯一のリゾート地パーパオに集まり、昼食会もやりました。

 明日は事務所のHさんが、新隊員のMさん(34才二児の父。臨床検査技師)をつれて、サバナケットに来ますのでまた歓迎会をやる事になります。

 来週の週末には、NHKの取材のためにラオスの一番南にある県パクセーに行き、メコン川が滝のようになっているというコーンの滝などのビデオを撮りに行くことになりました。これは来年広島で行われるアジア大会用番組製作のためのもので、NHKからJOCVに協力依頼があり、ビデオカメラを持っている私に白羽の矢が立ったのです。旅費はNHKが持ってくれるのですから、良い話です。

 残念ながら放送するのは中国地方だけらしいので、新潟では見られません。

 ヴィエンチャンからも3人隊員が来て、来週はサバナケットを取材し、4日くらいにはパクセーに行きますので、また手紙を書く間隔があくかもしれませんが、心配しないでください。では、お元気で。

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