島田   ご存知、井上陽水で「少年時代」、

      お聞きいただいたんですけど、

      この歌を聞いてどんな風景を思い浮かべますかね。

稲垣   小さい頃に、海が近いですから、

      海に行って友達と遊んで疲れ果てて、

      あの坂をこう下ってくると、下町の風景があって、

      だんだん暗くなっていって光りが点いていくみたいな。

島田   遊び疲れってみたいな。

稲垣   そうそう。坂を降りていくっていうか、

      自分のいる町に下っていくみたいな。

島田   自転車ですか。なんかそんな感じが…。

稲垣   その時は自転車ですね。今日も自転車ですけど。

島田   私も自転車です。

 

島田   今週のセカンドハーフ。本日のお客様は、

      稲垣動物病院の稲垣仁さんをお迎えしていますが、

      そのお医者さんであるご両親は厳しかったですか。

稲垣   やっぱり、父は結構厳しかったですね。

      とでも勉強好きというか研究熱心な人でして、

      勤務医なんだけど帰ってきてご飯食べ終わると

      自分の部屋に引きこもって

      コツコツ研究しているみたいな感じで。

島田   はあ。

稲垣   よくよく話を聞いてみると、

      そうでもなかったらしいんですけど、

      僕が生まれた時に

      子供ができるんだししっかりしなくちゃっていうんで、

      「友達付き合いも絶って俺は勉強を始めたんだ」って

      言っていましたよ。

島田   お父さんにとって、

      稲垣さん自身がターニングポイントになってたんですね。

稲垣   どうなんでしょうね。

島田   ご両親から一番学んだ事ってなんですか。

      怒られた事でもいいんですけど。

稲垣   うちの父親なんかですと、お金の事について

      つべこべ言うって事が嫌だったんですよ。

      だから例えば、ポケットの中でチャラチャラさせてると

      怒られたりとか。

      あと、他の子達なんかですと、

      サラリーマン家庭だとボーナスの時に

      お小遣い貰ったりするじゃないですか。

      それまでボーナスがあるなんて知らなかったんですけど、

      うちの父親も勤務医なんでボーナス出るって聞いたから、

      なんか頂戴って言ったら、いきなり怒り出して、

      「そんなにお金が欲しいのか。欲しいだけ持ってけ」って

      言って、ボーナス袋の中のお札を

      全部ばら撒いたんですよ。

島田   かっこいーい。

稲垣   そしたら、拾えないですよね、逆にね。

島田   あ、やっぱり。拾うのかなーって。

稲垣   拾おうとしたら、全部母親が拾ってました。

島田   あー。そういう粋というか、気風というか。

      教えたかったんでしょうね。

稲垣   まあそうでしょうね。

      その父親もね、ちょうど53くらいで死んじゃったんで、

      後10年くらいすると、その年なんですよ…。

島田   え、お幾つの時でした、稲垣さんが。

稲垣   21くらいの時でした。

島田   じゃあ、獣医さんになってっていうのは

      見せられなかったんだ。

稲垣   そうですね。

島田   ご病気で?

稲垣   脳腫瘍で。

島田   ああ、そうですか。最後はどんなお別れをしたんですか。

稲垣   ちょうど新潟大学の試験の日で。共通一次の。

島田   試験の日だったんですか。

稲垣   朝まで具合が悪かったんですけど、

      やっぱり行かないわけにはいかないでしょ。

      徹夜で看病して…看病ってほどじゃないけど。

      で、受けに行って会場を出たら叔父が待ってて

      車乗れって、もうすぐだからって…。

      病院のお医者さんなんかは、

      「君が帰ってくるまで持たすから行っておいで」って

      言ったんだけど、その帰る車の中で…、

      またきれい過ぎる話なんだけど。

島田   いえいえ。

稲垣   なぜか雪が一片チラッと舞ったんですよ。

      「あ、逝ったかな」って思ったら、

      やっぱりそれくらいの時間で。

      着いた時には亡くなっていたんですけど。

島田   じゃあ最後にお会いする事はできなかったんですね。

稲垣   そうですね。

島田   逆に、稲垣さんが生まれた事によって

      お父さんが変わったように、

      お父さんが旅立たれた事によって、

      稲垣さん自身は何か変わりましたか。

稲垣   やっぱり、逆にいうと、高校卒業してすぐは、

      本当は獣医になりたかったんですよ。

      でも、獣医になりたいって言い出せない

      雰囲気もありましたし。

島田   お医者さんにね。

稲垣   そうそう。獣医大学受けたいんだけどって

      ちょこっと言ったら、「そんな半端なとこ…」

      半端なとこって言うんですけど、

      「医者になれば自分の動物くらいは診れる。

      でも、獣医になっても人間は診れないだろ」って

      言われて、妙に納得しちゃって。

島田   うーん。

      でも、稲垣さんにとってお父さんの存在って

      すごく大きいんですね。

稲垣   うーん。周りの人達のおかげで生きていますから、

      どなたの存在も大きいですよ

島田   うーん、美しい。そのほうが。

      ご兄弟っていらしゃらないんですか。

稲垣   あ、妹が。二つ下なんですけど。

島田   妹さんはもう一緒にいらしゃらないんですか。

稲垣   今、薬剤師で、薬局やっているんですよ、調剤薬局。

      うちのすぐそばなんですけどね。

島田   やっぱり、それぞれ、

      お父さんとお母さんの背中を見てきて…。

      なんとなくそっちの系統なんですか。

稲垣   まあその系統の方が…。

      だからやっぱり、例えば今でも、夜起こされたりとかって

      わりと平気ですよね。あたりまえだったから。

      夜、家に居ても病院から呼び出しがあるとか、

      普通の事でしたから。

島田   やっぱり、そういう姿を見てくるのは大事ですよね。

 

2001-06-11

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