FMポート「PEOPLE」 (5.23放送分)

 

島田   PEOPLE 今週のセカンドハーフ。本日のお客様は、

      いつもオチを考えていらっしゃるんですが、

      そんなユーモアたっぷりの所がたまらなく魅力的な、

      稲垣動物病院の稲垣仁さんです。

 

島田   稲垣動物病院さんは新潟の下町の生まれですか。

稲垣   はい。

島田   そうすると小さい頃の町並みと言うか風景は、

      どんな感じでしたか。

稲垣   うちの辺りは、駐車場になったりはしていますけど、

      他よりは変わらないというところもあるから…。

      まだ未だに、「なんか屋さん」(駄菓子屋)が

      あったりとかするじゃないですか。

島田   うんうん。

稲垣   小さい時は紙芝居屋さんが来たりとかね…。

      こないだの話に戻りますけど、

      ラオスでいた街っていうのが、すごく似ていたんですよ。

      小さい時自分が過ごした、

      昭和30年代の下町にすごく似ていたから…。

      それこそ街の所々でおばさんたちが立ち話していたり、

      子供達は走り回っていたり。

      それに、そこの角からパッと紙芝居屋さんが

      来そうな雰囲気だったから、もう、溶け込んでましたよね。

島田   確かにね。何かホッとしたんでしょうね。

      でもまあ、(新潟の下町は)昔に比べれば

      だいぶ寂しくなってきましたけどね。

      そんなところで、どんなご幼少期だったんですか。

      小さい時から、動物好きだったんですか。

稲垣   家にはとりあえず、犬と猫を欠かした事が無かったから。

      ずっといましたよね。

島田   誰が好きだったんですか。

稲垣   うちの祖父かもしれないですね。

島田   いつも何かしら動物がいて…。

      だから獣医さんになったって事じゃないんですか。

      獣医さんになったきっかけって?

稲垣   何でしょうね。

島田   動物が大好きだったから?

稲垣   それがね、一番困るんですよ。

      好きですかって言われるのが。

      何か当たり前の事なんで…、一部って言うか、

      居て当たり前のところがあるから、

      今更好き嫌いと言われても困っちゃうんですけど。

島田   アーア。もう空気以上の。普通なんですね。

稲垣   そうですね。毎日動物を触るのが、普通ですからね。

島田   動物のいない生活は、考えられない?

稲垣   そこまで、動物オタクってわけじゃないですけど。

島田   小さい頃、何して遊びました。

稲垣   近くの小学校に入らなかったもので、

      あんまり近所の子とは遊べなかったのもあるんですけど、

      わりと漫画とか本とかを一生懸命読んでいました。

島田   本というと何系の。

稲垣   小学校の頃一番凝っていたのは、

      落語の本なんですけど、

      「古典落語体系」ってハードカバーのすごい本があって、

      高いんですよ子供にとっては。

      だから、クリスマスプレゼントとか

      何がいいって言われると、それがいいって言って…。

島田   何になろうと思っていたんですか!

稲垣   いや、その世界に浸っちゃってて、

      一番なりたかったのは、

      江戸っ子になりたかったのかもしれないです。

      だから小学校の時に作文の将来の夢っていうので、

      紀伊国屋文左衛門のようなお金持ちになって、

      吉原の門を閉めて大騒ぎしたいって書いたんですよ。

島田   え、小学校で。

稲垣   そうです。

      わけもわからないんだけど、楽しそうだったんでしょうね。

      芸者さん総揚げしてみたいのが。

島田   わけわかんだけに、わけわかんない。

稲垣   だから、父兄会の時に

      うちの親が何か言われたみたいですけど。

      「分かって言ってるんでしょうかね」って。

島田   でも、確かに落語だったり

      そういう世界から影響受けてるんでしょうね。

稲垣   どうなんでしょうね。

      それで、その時の担任の先生もちょっと変な人で、

      皆の前で落語やれって言ってやらされたりとか。

島田   やってたんですか。

稲垣   やってましたよ。

島田   ウケました。

稲垣   うーん。自分ではウケたと思っていたんですけど、

      そこ頃の友達が、「お前も変わってたよな。

      ウケもしない事やってさ」って言ってましたけどね。

島田   でも、記憶に残っちゃいましたね。みんなのね。

      稲垣君は勉強ができるっていう記憶は無くっても、

      落語やってた稲垣君って。

稲垣   どうなんでしょうかね。

島田   ご両親はお医者さんなんですか。

稲垣   ええ、そうなんです。

島田   ご両親ともに。

稲垣   うちの父親のほうが勤務医なんです。

      うちの母親のほうは祖父が医者で、

      そこを手伝っていたんです。

島田   ふーん。

      じゃあ、お医者さんにならなくちゃ

      いけなかったんじゃないですか、本当は。人間の。

稲垣   ならなけりゃじゃなくって、そういう雰囲気でしたからね、

      周りがね。うちに来る患者さんなんかが

      「何年かしたらお願いしますね」って感じでしょ。

島田   はあ、継ぐもんだってね。

稲垣   そうそう。下町ですから、

      周りがそういう目で見ますからね。

島田   それが、いつの間にか

      動物病院の稲垣先生になっていました。

稲垣   そっちのほうが気が楽ですけどね。

島田   今日の一曲聞いて下さい。

 

2001-06-11

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