近所の女の子達(餅つき大会にて)

1993-09-16

 元気ですか。今日ターちゃんから荷物が届きました。中には、半纏のほか、浴衣、帯、うちわが入っていました。持つべきものは友達といったところでしょうか。もし、ターちゃんに連絡してくれたなら、広にも礼を言わなくてはいけませんね。

 浴衣は、新潟祭りの民謡流しで、日立の人達が使った物で、送り返す必要はないとの事ですから、以前頼んだ浴衣は送ってもらわなくて大丈夫です。でも、もう用意していたり、送ってしまった後なら、それはそれで嬉しい事です。

 小包が早く届くのには驚いてしまいました。約1週間で届くのですから、普通の手紙と同じです。郵便局では小包を開けて、中身を全部検査するのですが、検査をするおばさんが、いちいち批評するのには少し腹が立ちました。

 「売るために取り寄せたのじゃないでしょうね」 と言いながら半纏を広げ、「祭りのときに使う物だ」 と言うと、「ふ−ん。あまりきれいじゃないね」 などと言います。ちょっとむっとして黙っていると、「もっとラオ語の勉強をしたほうが良いよ」などと余計な事まで言います。

 うちわは気に入ったようで、欲しそうにしていましたが、誰がやるもんか。結局、保管料と税金で2000キープも取られてしまいました。もう少し愛想が良ければ、うちわくらいあげたのに…。まったく、どこの国でも役所関係の人と言うのは愛想が無いので困ります。

 ところで、以前手紙に書いた引越しの話は少しずつ進んでいます。今日の午後には、協力隊担当のボワカムさん(日本語ができるラオ人というのは慣れていないせいもあって、何やら怪しげな感じもしてしまいます。悪い人ではないのだけれど…。)のところへ行って希望を述べ、それに添って彼が部屋を探すことになっています。

 ラオスには不動産屋や、ましてや週刊住宅情報などありません。全てクチコミの世界です。ヴィエンチャンと違ってサバナケットにはアパートというものが無いようで、今まで探してくれたものは全て1軒屋なので困ってしまいます。

 正直言うと、私は引っ越すかどうか迷っています。引っ越すとなると家具の問題もあります。今のように冷蔵庫や洗濯機まで(共同ですが)というのは難しいと思うからです。下のディスコの音にも、夜中に酔っ払いが騒ぐ声にも慣れましたし、ここの屋上からの景色にも捨てがたいものがあります。

 K君(24才。魚の養殖。皆ラオネームでチャンディーと呼びます。意味はいい奴。その名の通り、大声で少しうるさいときもあるけど、いい奴です)とAさん(37才。自動車整備)は今のセンサバイに残るそうですので、とりあえず屋上の景色は確保できます。家具の問題などがクリアされれば、引っ越すのも良いかなとも思ってもいます。いまのところより条件が良いか、それとは逆にラオ人の家に下宿できるなら良いなと思っています。

 でも、ラオ人の所に下宿するのは、まだ無理かもしれません。この国も共産主義をやめ開放的になったとはいえ、まだまだうるさいところもあるからです。ヴィエンチャンではすでに下宿している人もいるのですが、サバナケットでは前例も無く、難しいかもしれません。

 下宿となると人間関係で大変だとは思いますが、せっかくラオスにいるのですし、それこそラオスでしかできない生活だとも思いますから、できればしてみたいと思っています。もし人間関係がうまくいって、日本に帰ってからも、ラオスに家族同様の人達がいるとでも思えるようになったら最高なのですが…。そう思いませんか。まあこれは今すぐというのは無理かもしれませんが、希望として言ってみるつもりです。

 バイクが来て1週間経ちましたが好調です。バイクが来たせいではないのでしょうが、何度か村へも往診に行きました。村といっても、距離的にはそう遠くなく、サバナケット市の郊外といったところです。未舗装の、ほとんど車が通らない道を走っていたら、ふと幼いころ父親のラビットスクーターに乗せてもらったときのことを思い出しました。多分、寺尾の土地を見に行った時の事です。当時はまだ現在の116号線も無く、ちょっと脇道に入ると未舗装でした。

 村では、縁台に村の人々が座り、1台の白黒テレビを皆で見ていました。この国は本当に、私が幼いころの日本のようです。交通量も、ちょうど私がスクーターにはねられた、4・5才のころと同じくらいです。センサバイの近くでも、夕方になると鐘を鳴らしながら、まるで昔の豆腐屋のように物売りが通ります。街角の汚さも、あの頃の五菜堀のどぶみたいな堀を考えれば、同じようなものです。

 ガキ大将に引きつれられた子供達は、道端で鬼ごっこをやっています。ゴムとびをやっている女の子達もいます。街角では、おばさんたちが縁台に座って噂話に興じています。

 顔見知りの家の前を通ると、「プースン、どこ行くの」と声が掛かります。ちょっと笑って「あっち」といって通りすぎます。「どちらまで」、「ちょっとそこまで」と同じです。ここでの暮らしは、自分の原風景というか、自分の一番古い記憶にある世界との再会のようです。

 先週の日曜日、Sさんが知り合いのラオ人の女の子を引きつれて遊びに来ました。以前、「たまには女の子に囲まれてみたいものですね」と言ったのを覚えていてくれたようです。

 もっとも、14才、12才、10才の女の子で、おまけに2才の男の子まで一緒でした。センサバイに来るのは始めてなので、大喜び。屋上に出て、走り回って遊んでいました。お姉ちゃんたちが行くどこにでもチョロチョロとついて行く男の子を見ていると、自分の小さいときのことを思い出してしまいました。文字通り女の子に囲まれて半日遊び(遊んでもらい(?)、とても満足した日曜日でした。

 さて、来週はいよいようちの奥さんがラオスに来ます。結局、久米川のお父さんとお母さんは来られないことになり、1人で来る事になりました。今回はサバナケットまでは来ず、ヴィエンチャンで5日間いることになりました。どこに連れて行こうか色々考えています。彼女はどんな印象を受けて帰る事になるのでしょうか。私は、この国をとても気に入っているので、ぜひ彼女にも良い印象を持って帰って欲しいと思っています。

 19日(日)は飛行機が満席なのでキャンセル待ちをしています。でも、20日(月)の予約はしてありますので、少なくともバンコクからの飛行機が着く1時間前にはヴィエンチャンに着き、出迎えができるはずです。

 何かアクシデントがあってラオスに来られない場合は、新潟の方にも連絡しておくと手紙に書いてきました。もし、ヴィエンチャンで会えなかったら、そちらに電話します。(今頃こんな事を書いても、この手紙の方が後に着くのですね。ころりと忘れて書いてしまいました。どちらにしろ、ヴィエンチャンから1度は電話します。手紙は書く暇が無く少し間が開いてしまうかもしれませんが、あしからず。

 それではこのへんで。お元気で。

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