ラオスにおける狂犬病査報告

(ENGLISH)

 

ラオスにおける狂犬病調査報告

 

January,1995

 

青年海外協力隊 4年度3次隊

サバナケット県農林局獣医畜産課獣医師

稲垣 仁

 

 ラオスにおける狂犬病は、一種の風土病とも言える。そして狂犬病に対する対策はまだまだ充分とは言えない。ラオスにおける統計資料は、狂犬病が広く蔓延していることを示している。狂犬病に対する早急な対策が必要とされている。狂犬病の蔓延を防ぐためには、ラオス産の低価格ワクチン供給の充実が急務である。

 

1.はじめに

 狂犬病は感染した動物の唾液腺で増殖したラブドウィルスが唾液に排出され、咬傷により感染するものである。ウィルスは咬傷部位で増殖し、抹消神経を上行して中枢神経を侵す。潜伏期間は非常に長く、小動物でも2週間から数カ月におよび、ヒトでは1〜3カ月がもっとも多いとされているが、3年以上という場合もある。狂犬病ウィルスはすべての哺乳類に感染し、発病した場合には100%死亡すると言われる恐ろしい病気である4)。主たる症状は筋肉の反射亢進や痙攣で、その結果として特に液体の嚥下困難がおこり、やがて水を見ただけで痙攣発作を起こすようになる。これを恐水病と呼ぶ。狂躁期から昏睡期を経て、最後には呼吸中枢が侵されて死亡する5)。発病を防ぐにはワクチン以外の方法はない。

 狂犬病の報告のない国(1980年)は、オーストラリア、ニュージーランド、ニューギニア、北欧三国、ポルトガルなどの小数の国々と、イギリス、日本、台湾、シンガポール、グアム、ハワイなどの小さい島々だけである。これに反し、東南アジア、インド、中東アフリカ、メキシコを含む中南米諸国では、経済、宗教、習慣などによる障害のため対策も不徹底で、野放しの地域も多いため、イヌ、ネコの狂犬病が多くなり、ヒトの狂犬病も極めて多くなっている。

フィリッピンでは年間25,000頭もの犬が狂犬病で死亡しており、インドでは年間20,000人ものヒトが死亡している。ラオスの隣国であるタイにおける犬の飼育頭数は、1,000万頭以上(人口は約5,000万人)と言われ、毎年14万人以上が狂犬に咬まれ狂犬病の治療を受けており、そのうち200〜300人が死亡している4)

 日本では1950年に狂犬病予防法が施行され、1957年以来発生はみられない。

 ラオスにおいては狂犬病についての統計はなく、その実態は明かでなかったが、今回の調査でその一部が判明したため、ここに報告することにする。

 

2.調査方法

このデーターはヴィエンチャン獣医畜産局、伝染病予防センター(NIHE)、ヴィエンチャン市内開業獣医および、各県の獣医畜産課、病院などで調査したものである。

このうち、ヴィエンチャン獣医畜産局(現在ラオスにおいて狂犬病犬の検査をできるのはここだけである)における狂犬病の検査方法は、(1)狂犬病犬の脳アンモン角に特異的に現れるネグリ小体の有無を顕微鏡で調べる、(2)検体をマウスに接種し、2週間の経過観察をする、というものである。しかし、検査料が、(1)=1、000キープ(1.4$)、(1)+(2)=3、500キープ(4.9$)するため、(1)で狂犬病(+)とされたものについて(2)を行うことはほとんど無く、多くの人が(1)のみを希望する。(ラオスの一人あたりのGNPは約300ドルである)

 

3.調査結果

ヴィエンチャン

1.ヴィエンチャン獣医畜産局における調査

年間狂犬病検査頭数

狂犬病(+)犬

1988

1989

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

90

96

107

112

144

163

199

241

273

83 (92.2 %)

89 (92.7 %)

97 (90.1 %)

102 (91.1 %)

136 (94.4 %)

112 (68.7 %)

117 (58.8 %)

127 (52.7 %)

143 (52.4 %)

 

年間ワクチン接種頭数(ヴィエンチャン県内)

1988

1989

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

2,800

3,200

3,600

4,520

7,230

11,004

12,179

14,100

18,400

 

2.NATIONAL INSTITUTE OF HYGIENE AND EPIDEMIOLOGY (NIHE)における調査

1)年間、犬による咬傷のためにNIHEを訪れる件数

1992

1993

1994

1995

1996

820

886

1,067

1,540

1,499

 

2)上記咬傷事件のうち、加害犬の検査可能で狂犬病(+)だったもの

1992

1993

1994

1995

1996

242

118

130

187

-

 

3)咬傷事件後 3〜5回分のワクチンを購入した人数

1992

1993

1994

1995

1996

280(34.1%)

294(33.2%)

432(40.5%)

712(46.2%)

801(53.4%)

 

4)1〜2回分のワクチンのみを購入した人数

1992

1993

1994

1995

1996

502(61.2%)

575(64.9%)

635(59.5%)

828(53.8%)

698(46.6%)

 

5)一度もワクチンを接種しなかった人数

1992

1993

1994

1995

1996

46( 5.6%)

22( 2.5%)

0( 0.0%)

0( 0.0%)

0( 0.0%)

 

6)月別咬傷事件発生件数

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

合計

1992

1993

1994

1995

79

74

93

117

64

76

76

96

65

91

85

129

64

64

83

124

67

64

85

146

49

69

81

132

72

56

77

155

57

71

102

138

81

63

89

121

67

92

104

143

65

82

82

113

90

80

108

126

820

886

1,067

1,540

 

3.ヴィエンチャン保健局の資料より

咬傷事件数

狂犬病(+)犬

ワクチン接種人数

死亡者数

1989

1990

1991

1992

274 (22.8/month)

208 (17.3/month)

503 (42.0/month)

490 (22.8/month)

69 (25.2%)

96 (46.1%)

358 (71.2%)

224 (45.7%)

273 (99.6%)

184 (88.4%)

503 (100%)

486 (98.0%)

-

2

3

-

 

4.ヴィエンチャン市内の開業獣医における調査

1)年間狂犬病ワクチン接種頭数

 92年…280件  93年…526件  94年…378件

2)年間狂犬病診断頭数

 92年… 44件  93年… 92件  94年… 32件

3)上記のうち咬傷事件件数

 92年…8〜9件 93年… 0件  94年… 0件

 

5.狂犬病ワクチンの価格

イヌ用ワクチン:国内産生ワクチン 1shot 700〜 1,000キープ (1-1.4$)

輸入不活化ワクチン 1shot 3,000〜 5,000キープ (4.2-7$)

ヒト用ワクチン:輸入不活化ワクチン 1shot 8,000〜10,000キープ (11-14$)

 

6.ヴィエンチャン市内の病院における調査 (1994年 1月調査)

 現在、犬による咬傷を受けた人はすべてNIHEに行くらしく、セタティラート病院では過去1年の間に1件(若い男性で入院翌日死亡)、マホソット病院では過去1年半の間に1件(子供で、犬のように叫び続け入院不可能。自宅で死亡したものと思われる)の報告しかない。ラオスでは、咬傷を受けた人のほとんどが自宅で療養するものと思われるため、死亡者数などの実態は不明である。

 

サバナケット

1.サバナケット県農林局の資料より

1991

1992

1993

1994

1995

1996

狂犬病ワクチン接種頭数

100

150

1,900

465

1,420

1,335

1992年犬飼育頭数(全県)…1,591頭

・ワクチン代金 1shot…1,500キープ(2.2$)

・ワクチン接種は県都(カンタブリー)でのみ行っている。

 

2.サバナケット県保健局資料より

/ 92'

咬傷事件数

狂犬病(+)犬

ワクチン接種人数

死亡者数

2

6

8

10

11

12

6

3

5

10

31

14

1

-

1

-

1

-

0

1

3

8

5

14

-

-

-

-

-

-

合計

69

3(4.3%)

31(44.9%)

0

 

 

/ 93'

咬傷事件数

狂犬病(+)犬

ワクチン接種人数

死亡者数

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

11

16

4

10

12

12

20

9

13

11

13

17

-

1

-

-

-

-

1

-

-

-

-(3)

-(2)

11

10

4

10

10

12

16

8

10

11

13

17

-

1

2

-

-

-

1

3

-

-

-

-

合計

148

2(1.4%)(5)

132(89.2%)

7(4.7 %)

 

/ 94'

咬傷事件数

狂犬病(+)犬

ワクチン接種人数

死亡者数

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

13

17

27

11

14

10

22

17

11

9

-

  -(2)

  1(1)

-(2)

-(1)

-

-(1)

-

-

-

13

17

27

11

14

10

22

17

11

9

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-

合計

151

1(0.7%)(7)

151(100%)

0

狂犬病(+)犬のデーターのうち、カッコ内の数字は咬傷事件後3〜4日後に加害犬が死亡したもの。狂犬病(+)の疑いが強い。

 

チャンパサック

・狂犬病ワクチン接種頭数      93年 … 430頭   94年 … 250頭

・咬傷事件数            93年 … 219件   94年 … 261件 

・狂犬病検査頭数          93年 …  51頭   94年 … 52頭

・そのうち狂犬病(+)犬        93年 …  15頭   94年 … 10頭

・咬傷事件後に病院で治療した人数  93年 …  51人   94年 … 78人

・そのうち病院で死亡した人数    93年 …  0人   94年 …  0人

・狂犬病による年間死亡者数     93年 …  5人   94年 …  0人

・イヌ狂犬病ワクチン代金 … 700 キープ(1$)

・ヒト狂犬病ワクチン代金 … 5回で 1,500-2,500 バーツ (60-100$)

 

ルアンプラバン1993年)

各地方名

イヌ飼育頭数

狂犬病ワクチン接種頭数

ムアン・パーク・ウー

ムアン・チャーンペット

ムアン・ルアンプラバン

-

11,430

9,070

-

-

11 (0.1%)

 

シェンクアン

1990年に病院で30才くらいの女性が狂犬病で死亡。その後、狂犬病患者の入院はない。イヌに対する狂犬病ワクチン注射は、行われていない。

 

・ノンテン・ワクチン工場からラオス各県への狂犬病ワクチン出荷数(1993年1月1日から同年10月31日まで)

県名

ワクチン出荷数

ヴィエンチャン特別市

ヴィエンチャン県

サバナケット

チャンパサック

サラワン

カムワン

サイニャブリー

ボリカムサイ

ウドムサイ

アタプー

ルアンプラバン

フアパン

シェンクアン

セーコン

ルアンナムター

ボケオ

ポンサリー

8.422

40

1.300

1.500

100

150

170

30

-

-

400

-

-

-

-

50

-

Total

12,212

以上の県のうち、サラワン、アタプー、セーコンの各県へはチャンパサック県経由で多少のワクチンを送っているとのことだが、実数は不明である。

 

4.考察

 ラオス各地方における狂犬病の蔓延状況について比較検討するつもりで調査を始めたのだが、断片的な資料ばかり集まり、結局は各地方を比較するというところまでは行かなかった。何しろこの国の統計資料というものは基準となるものがないようで、ある資料が1年間の統計なのに別の資料は1月から8月までの統計だったりするのである。統計のとりかたにも問題が多く、たとえばサバナケットに限って言えば、イヌの飼育頭数(1993年)などは、いったいどこから出て来た数字なのか分からないし、かなり怪しいものである。狂犬病による死亡者数にしても、病院に入院する習慣に乏しい国であるので、各家庭で死亡した場合その実数が統計上に現れることはないのである。資料上の狂犬病(+)犬数は非常に少ないが、これはあくまで咬傷事件を起こしたイヌを捕まえて屠殺し、頭部をヴィエンチャンに送って検査できたというごく希なケースである。ヴィエンチャンにおいても同じ年の(1992年)咬傷事件数が、NIHEと保健省の数字とでは違ってきてしまうのである。

 実際は、イヌの飼育頭数でさえ実数は不明なのであるが、獣医課職員の感覚的数字によると、ワクチンを接種しているイヌは首都のヴィエンチャンでも全体の10%以下であろうとのことである。 

 この資料において、それでもまだ信用できそうなのはヴィエンチャンの獣医課とNIHEにおける資料であろう。その資料を元にして考察してみることにする。

 ヴィエンチャン県の人口は約40万人、ラオス全体の人口はその10倍の約400万人である。1992年のデーターを例にし、仮に人口あたりのイヌの飼育頭数が同一で、ワクチン接種犬が全体の10%であるとすると1992年のワクチン接種頭数から、ラオスにおけるイヌの飼育頭数は723,000頭であり、NIHEでの数字より、全国で1年に8,200件の咬傷事件があり、そのうち94.4%、つまり7,741頭のイヌが狂犬病(+)であるという恐ろしい数字が浮かび上がってくる。

 また仮に、咬傷後ワクチンを接種しなかった者と、ワクチンを1〜2回という、不完全にしか接種しなかった者のうち16%が発病したものと仮定すると(狂犬の咬傷を受けた者のうち、約16%が発病すると言われている8))、年間全国で800人以上のヒトが狂犬病で死亡していたことになる。同様の方法で他の年についてもまとめたのが次表である。

 年   犬飼育頭数   咬傷事件数   狂犬病(+)犬   死亡者数

1992    723,000     8,200      7,741      827

1993   1,100,400     8,860      6,086      656

1994   1,227,900    10,670      6,274      597

 この数字は、あくまでも調査データーから類推しただけのものであるが、毎年かなりの人数が狂犬病で死亡しているのは確かであると思われる。また、咬傷後ヒトに対して注射するワクチンの価格が、ラオスの一般の人々にとっては高価なのも死亡者数を増やす原因の一つであろうと思われる。

 しかし、一番の問題はラオスにおける狂犬病対策の未熟さである。先にあげた日本などの例によると、狂犬病対策で重要なのは、1)迷い犬の根絶、2)飼い犬の繋ぎ飼い、3)海外からの動物に対する検疫、4)イヌへのワクチン注射の徹底などである。ラオスの場合、1)、2)、3)はほとんど行っておらず、4)のワクチンについては年々接種頭数は増えているものの、まだほんの一部の犬にしか行われていない。

 咬傷事件後のワクチン接種人数については以前よりは増加している。しかし、それも一部の県の、それも都市部に限っての話であり、まだまだ地方には狂犬病の恐ろしさやワクチン接種の必要性に対する知識が浸透していないようである。

 また、狂犬病ワクチン接種頭数は、サバナケットとチャンパサックにおいては、93年より94年の方が逆に減っている。

 資料によると、イヌに対するワクチン注射を行っているのは、ヴィエンチャン、サバナケット、チャンパサック、それとルアンプラバンの一部くらいである。シェンクアン、ウドムサイ、アタプー、フアパン、セーコン、ルアンナムター、ポンサリーの各県には少なくとも93年の1月から同年10月までの間に狂犬病ワクチンが出荷された形跡はなく、イヌに対する狂犬病ワクチン注射を行っていない可能性が高い。

そのうえ、調査を続けるうちに新たな問題があることがわかった。現在、ラオスにおける動物用のワクチンの製造は、農林省に所属するノンテン・ワクチン工場のみが行っている。この工場は公共事業的性格を持つ経営状態であり、原価より安い値段で各県にワクチンを供給している。1993年まではUNDPの援助によってワクチンの製造を行っていたが、その援助も1993年12月で終わり、現在は多少の援助がラオス政府からあるだけという苦しい経営状況にある。

 現在ラオスにおけるイヌへの狂犬病ワクチン注射は、この工場で製造された生ワクチンを700〜1,500キープで行っている。もしこの国内製ワクチンの供給がストップし、すべて輸入ワクチンに頼るとすると、1回のワクチン代金は3,000キープ以上かかることになる。ますますイヌへのワクチン注射をやらなくなり、狂犬病が増えていくことが予想される。他の動物用ワクチンについても同様なことが言える。

 最後に、エイズ,B型肝炎などの病気は、本人の節制によってある程度防げるのに対し、狂犬病は突然あちらから襲いかかってくるという性格を持つものである。発病した場合は100%死亡するという恐ろしい病気であるが、原因などははっきりしており、ヒト及び動物へのワクチン注射さえしっかりとやれば、いたずらに恐れる必要はない。それだけに、ワクチンの安定供給というのは最重要課題であると言える。とにかく、この国の狂犬病対策はまだまだこれからというところであると言えよう。

 稿を終わるに当たり、本調査にご協力を頂いた以下の方々に深謝するとともに、厚くお礼を申し上げます。

Dr.N.Innestaylor (AIT)

Dr.T.Chosa (JICA) and National Institute of Hygiene and Epidemiology,

Dr.Khamdeng and Vientiane Veterinary Clinic,

Dr.Douanchith and Livestock and Veterinary Section in Svannakeht,

Dr.P.Singkham,Dr.B.Silivong and Department of Livestock and Veterynary

in Vientiane,

Dr.B.Nounouannavong and National Institute Vaccine Production Nongteng,

Ministry of Agriculture,

Ministry of Public Health

and Gverrnment of Lao People's

Democratic Ripublic.

 

参考文献

 

1)明解獣医学辞典 (1991)、275、チクサン出版。

2)笹原二郎、柴田重孝、清水悠紀臣、椿原彦吉 (1984):獣医伝染病学<第二版>、375ー378、近代出版。

3)藤本 胖、藤原公策、田島正典(1984):家畜病理学各論、235ー236、朝倉書店。

4)坂本国昭 (1993):獣医畜産新報Vol.46 No.5,388-391,文永堂出版。

5)森 良一、天児和揚(1993):戸田新細菌学、767ー768、南山堂。 

6)村上 一、勝部泰次、影井 昇、丸山務 (1987):人畜共通伝染病、58ー61、近代出版。

7)国民衛生の動向 (1992)、299、

厚生統計局。

8)佐々 学 (1978):アジアの疾病、198ー203、新宿書房。

9)近藤 昭 (1981):海外医療ハンドブック タイ、39ー43、日本熱帯医学協会。

10)Nicolson,K.G. Mordan Vaccines Rabies, The Lancet 1990; 1201-1205.

戻るホーム