新潟県中越地震―小千谷市に行ってきました1

2004.10.27

以下の記録はまったく個人的なものです。もっとひどい被害を受けた地域がある事も承知しております。自分自身が短い時間で体験したことに基づいて書いたものですが、何かの役に立つかもしれないと思いHPに掲載する事にしました。ご了承ください。

 

 

友人が個人的にボランティアをやっており、小千谷市に救援物資を届けるけど車1台では荷物が積みきれないというので、うちの軽自動車で一緒に行ってきました。

 

行きは高速を使わず116号線で分水町まで行き左折し、8号線に出るというルートで行ったので、3時間ほどかかりましたが、帰りは長岡から高速が使えたので2時間ほどで帰ってきました。

 

出かける直前に余震もあり、かなり覚悟していったのですが、私が行った道はほとんど補修してあり、思っていたよりスムーズに往復できました。小千谷市近くのガソリンスタンドも営業しており、ホームセンターなども開いていました。

 

市内に近づくにつれ倒壊している建物も増え、道の補修個所も多くなりました。片側の車線が完全に使えず、交互通行になっているところもありました。

 

一見ちゃんとしているように見える建物も屋根瓦が落ちていたり、窓や玄関扉がなかったりします。家の中は散乱しており、避難所や車の中で生活している人が多いと聞きました。

 

行ったのは小千谷駅から車で5分ほどの「横渡」という集落で、30軒のうち25軒の人達が高台のビニールハウスで生活していました。

 

市内の一部は電気も復旧したようですが、そこはまだ電気もガスも水道も使えません。でも、配給で水も食料も充分にあるそうで、一番の希望はお風呂に入りたい事、必要なのは肌着や赤ちゃんのオムツとのことでした。

 

ちょうど宅急便のトラックが届き、救援物資が届いたのかと思ったのですが、個人あての小包でした。個人あての宅配便もちゃんと届いているようです。いつもの宅急便のトラックと違うのは、ドライバーの他にもうひとり助手席に人が乗っていたことぐらいでした。

 

今のところ大きな余震があったにもかかわらず、現地の人達はなんとかそれなりに生活できているようですが、これからが大変です。壊れた家の後片付けという仕事が待っているのです。

 

私も40年前の新潟地震を子供ながらに覚えていますが、後片付けが大変だった事だけは覚えています。

 

 

テント生活をしているという小千谷市内の動物病院にも行ってみました。病院の建物自体が壊れたわけではなく、水も食料も足りており、業者も駆けつけているようで、とりあえず必要なものは無いそうです。

 

地震で負傷した動物よりも普段どおりの薬やフードをとりに来る人が多く、手術が必要なものは長岡の病院に行ってもらっているとのことでした。

 

ひょっとすると負傷した動物がいっぱいいるかもしれないと思い、薬を用意し泊まる準備までして行ったのですが、少なくとも私が行ったところではその必要はなさそうでした。

 

今後は、災害による直接的な負傷の治療よりも、避難している人達が飼っている動物の保護や、ストレスによる病気という事の方が問題になってくのだろうなと思いながら帰ってきました。

 

2004-10-27

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