葉月会
結成1年目の新潟祭 (1979-08-22)
葉月会は22年前に結成された新潟のみこしの会です。
忘れないうちに、結成当時の思い出を綴ってみました。
今、新潟には数多くのみこし団体があります。8月の新潟祭での宮入りには10基近くものみこしが参加し、祭を盛り上げています。今では当たり前になっているみこし団体も、昔からあったわけではありません。 小学校時代からの友人、田村時蔵の家に5・6人の友人が集まったのは、今から22年前、1978年の新潟祭が終わった8月の末ごろの事でした。 現在の新潟祭は8月7・8・9日に行われていますが、以前は8月21・22・23日でした。祭が終わると夏も終わり夏休みも終わる、という時期だったのです。 当時私は21才。お恥ずかしいことにまだ大学にも行けず、新潟で浪人生活をおくっていました。他の友人たちは皆東京の大学に行っており、夏休みが終わって東京に戻る前に、なんとなく集まったのです。 「みこしを担がないか」 突然そう言い出したのは時蔵でした。 それまでにも新潟祭の民謡流しに飛び入りで参加したり、住吉行列のバイトという形で祭に参加したことはありましたが、当時それ以外の形で一般市民が祭に参加する場はなかったのです。行列にみこしもありましたが、それは商店街のみこしや子供みこしで、一般参加で担げるようなものではなかったのです。 別にみこしでなくても良かったのかもしれませんが、何かやりたいというのが、その場にいた全員の一致した意見でした。全員一致でみこしの会を作ることになり、さっそく名前を決めることになりました。 その場にいた全員が一度もみこしを担いだことがなかったし、担ぐみこしさえないのですからのですから、今考えるといいかげんなものです。レンタルみこしというものがあるらしいという話や、皆でアルバイトをして買えば良いなどという安易な考えだったのです。 名前のほうはいろいろ案も出ましたが、『葉月会』と決まりました。 誰もみこしに対する知識がなかったので、とりあえず商工会議所や白山神社に行き話を聞くことになりました。東京では伝を頼って浅草のみこしを担ぎに行ったりもしようという事になりました。 わけもわからず商工会議所に登録し、会則も作りました。みこしの会の癖に、政治宗教にかかわらないという趣旨の会則でした。会長は白山神社の宮司さんになっていただき、言い出しっぺの時蔵は、委員長ということになり、新潟にいる私は渉外係ということになりました。 とにかくみこしを担ぐには人数が必要だということだけはわかりましたから、さっそく人を集めることになりました。友人、知人、親戚と回りじゅうに声をかけ、新聞にも募集記事を載せてもらいました。
そのかいあって、翌年の8月には80人以上の人が名簿に名前を連ねました。偶然『元粋会』や『信濃会』という他の団体も同じ年にできたのですから、新潟祭に対する関心が高まっていた時期だったのかもしれません。 新聞などを見て参加してくれた人も多かったのですが、どうしても人を集めるとなると中学や高校の同級生が中心になるため、東京の大学に行っている人も多く学生のサークルのような会でした。みこし自体より飲み会の方が中心のような会でした。 いろいろ調べてみるとみこしというものは思っていたよりもとても高価なもので、とても学生のアルバイトくらいでは買えるものではありませんでした。結局白山神社の宮司さんのご好意で使っていないみこしを借りられることになりましたが、そのみこしはとても小さな子供用のものでした。それでもないよりはましです。小さなみこしを箱に載せ、それでも軽すぎるので人が乗ることになりました。 皆みこしを担ぐのは始めてなので、浅草で担いできた時蔵の指導で桁に土嚢を乗せて練習したりもしました。桁の縛り方さえも知らず、はじめは番線でとめたりしていました。 祭当日も、今のようにみこしはみこしだけで動くのではなく、住吉行列と一緒でしたから、朝からずっと1日じゅう担いでいました。沿道の人たちに頼んで、みこしに水をかけてもらったりもしました。今と違って8月の下旬でしたから涼しい日もあり、濡れて寒い日もありました。 祭の3日間ひたすら担いで夜は飲み、民謡流しにも参加しました。打ち上げの会場は大騒ぎ。ビールかけまで始まり、会場の円応寺会館には大変迷惑をかけてしまいました。
2年目は子供みこしではなく、借りてきたみこしでした。3年目に宮司さんからみこしを作っていただき、やっと自分たちのみこしを持つことができました。 2年目の祭が終わってから、ひとつの転機がありました。その頃になると、私を含め役員のほとんどが学校や就職で普段は新潟にいないものばかりだということがネックになってきたのです。全員役員を降り、新潟在住者に役員をやってもらうことになりました。 委員長も田村時蔵から鈴木幸雄、高橋建造と代替わりし、今の山村会長になっておちつきました。今では会員数も170名になっています。 私は今だに、1年に1回新潟祭には担ぐようにしていますが、いろいろな事情で会員も入れ替わり、最初に集まった人のうち今でも担いでいる人は残り少なくなってしまいました。 でも私はこれからも1年に1回はみこしを担ごうと思っています。わざわざ会費を払って、衣装も自分持ちで重いみこしを担ぐのですから、端から見れば馬鹿な事と思われても仕方ないかもしれません。どこが面白いのかと聞かれるとうまく言葉にできませんが、担いでいる全員が息の合った瞬間、それまで重かったみこしがすっと軽く感じられる、あの瞬間が好きなのかもしれません。
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2000-05-28