繁華街の片隅で

 

 

7月のある日曜日の午前中、病院の電話が鳴りました。

 

うちの病院は日曜日もやっていますが、診療時間は午後からです。基本的に診療時間外は留守番電話にしているのですが、電話が鳴ると急患かもしれないので出るようにしています。

 

「ラブラドールが死にそうなのです。往診してもらえませんか」

 

やっぱり急患でした。

 

「実はお金がないのですが。それでも来てもらえますか」

 

そう来ましたか!でも、診察した後お金がないと言い出す人もいるのですから、ある意味正直です。電話に出た以上ほっておくわけにも行かないので、行く事にしました。

 

「とても分かりにくいところなので、道に出て待っています」

 

住所は、新潟市の繁華街のど真ん中でした。『そんなところに、普通の民家はないよな・・・』と思いながら車で向かいました。

 

指定された場所に行くと、中年の男の人が立っていました。案内されたのは古町の裏通り、3階建ての小さなビルでした。

 

階段の上からいきなり女の子の声が響きました。

 

「お父さん大変。早く来て。息が止まった!」

 

狭い階段を駆け上がりました。2階には小さなスナックが何件かあるようでしたが、昼間なのでシーンと静まりかえっていました。女の子の声は、さらに上の3階からしています。

 

3階に上がって扉を開けると、そこは廃墟のような風景が広がっていました。元は何かの店だったのでしょうが、壁紙は破れ、コンクリートの壁がむき出しでした。床には廃材のようなものが散乱していました。昼間とはいえ薄暗く、部屋は蒸し風呂のようでした。窓がない構造なので、非常口に通じるドアが開けられていました。電気も来ていないのか、そのドアからの明かりが唯一の明かりでした。

 

非常口脇の板の上に黒い大きな犬が横たわっており、お母さんらしき人と、中学生くらいの兄と妹が犬を囲んで座っていました。

 

部屋の奥の暗がりには、簡易ベッドらしき物がありました。どうやら、一家でここに住んでいるようなのです。

 

犬は腹水がたまっているらしく、おなかがパンパンに膨れていました。確かに心臓が止まっています。心臓マッサージをしてみることにしました。汗が流れます。

 

「ガン!」

 

背後の薄暗がりで、何かを蹴飛ばすような音がしました。

 

「だから早く病院に連れて行けって言ったんだよ!」

「お兄ちゃんやめて!お金がなかったんだから、しょうがないじゃない!」

 

ポトリと私の手に水滴が落ちました。女の子の涙でした。

 

まるで映画のワンシーンのようでした。不謹慎ながらそう思ってしまいました。

 

結局ラブラドールは息を吹き返すことはありませんでした。

 

「診察料は明日お持ちしますから」

 

帰り際に、お母さんがそう言っていましたが、それ以来音沙汰はありませんでした。

 

あの一家はなぜあんなところにいたのでしょうか。借金に追われ、犬だけを連れて潜伏していたのでしょうか。その後、あの一家はどうなったのでしょうか。いろいろと想像させられた1件でした。

 

 NHKラジオの『朝の随想』で使おうと思って書いたのですが、朝にはふさわしくない話題のようなので、こちらに掲載する事にしました。

 

2005-11-20

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