安楽死

 獣医の仕事で一番嫌な仕事は、何でしょう。

たまりにたまった宿便のかき出し、ウジがたかった傷の手当て等々…。

人によってそれぞれ違うでしょうが、安楽死というのは、つらいものです。長年一緒に暮らした飼い主さんが泣きながら見守る中、血管に通常の3倍から5倍の麻酔薬を注射することになるからです。

 もう助からない病気で苦しんでいる動物を安らかにするためだと、頭の中で分かっていても、なかなか慣れるものではありません。

でも、過去に一度だけ、早く死んでくれと願ったことがありました。

 数年前の代診時代のことです。その日は朝からずっと小雨が降っていました。

15歳のシェパードで、数年前からフィラリアにかかっており、もう少しも動かなくなってしまい安楽死したいので、往診で来てくれないかという電話が入りました。

とても丁寧な口調の電話でした。初診ではありましたが、歳も歳ですし苦しむのもかわいそうなので、行くことにしました。

 地図を調べながら探し当てた家は、200坪近くある豪邸で、立派な門柱の上には、1m×50cmもある蛍光灯入りの大きな表札が掲げてありました。

ふと嫌な予感がしましたが、案の定でした。大きな玄関には、「任侠」の二文字が書かれた大きな額が飾られていたのです。

 ご主人の丁寧な挨拶を受けた後、二人の若い衆に広い庭にある犬小屋に案内されました。

小雨が降っているので傘を差し掛けてくれるのですが、二人の若い衆は傘に入ろうとはしません。

 小屋の脇には、50キロ近くもある大きなシェパードが苦しそうに横たわっていました。小屋の外ですからずぶ濡れです。

「小屋に入ろうとしないんです」 若い衆の一人が、初めて口を開きボソっとそう言いました。

 びしょびしょに濡れた犬を診察すると、体中が浮腫を起こしています。指で押すと押した跡がなかなか戻らないような状態です。

普通前足の静脈に麻酔薬を注射するのですが、いくらやっても血管が見つかりそうにありません。

それでも、やらないわけにはいかないので、大きな注射器にたっぷりと麻酔薬を吸い上げました。

 前足を圧迫しても、血管が怒張して浮き上がってくる様子はありません。大体の見当をつけて針を刺すのですが、何度やっても血管に入りません。

もう痛いという感覚もないようで、犬が暴れないことだけは幸いでしたが、ただ時間だけが過ぎていきます。

 背後に立って無言で傘を差し掛けてくれている若い衆達は、ずぶ濡れです。無言の視線が、私の背中に痛いほど突き刺さってきます。

 「すごく浮腫っていて、血管もぼろぼろなんですね…」

 言い訳じみたことを言っても無反応です。針を変えてみたり、足や首の血管にも挑戦してみたりしましたが、背後に立つ二人の私に対する信用を失わせるだけでした。

ずっと傘を差し掛けていたので疲れたのでしょう。下がってきた若い衆の腕を伝わった雨水が、私の肩先を濡らします。こうなったら血管をあきらめ、おなかの中に多量に注射するしかありません。

 「腹腔内に注射します。いいですね。」

 良いも悪いもありません。誰に言うともなくそう宣言し、腹腔内に多量の麻酔薬を注射しました。

 「終わりました。後は待つだけです」

 そう言って立ちあがりました。雨はますますひどくなりますが、二人の若い衆は濡れながら私に傘を差し掛けています。

もう、こうやって雨の中に1時間近くもいたことになります。

 「早く死んでくれ」私は心の底から願いました。しかし、シェパードの呼吸は、苦しそうですが止まる様子はありません。

 「もう一度注射しましょう」

 そう言って、もう一度注射器に麻酔薬を吸い込みました。多めに用意してきた薬もこれで終わりです。

再び腹部に注射し、雨の中で待ちました。頭の中で時計の針が、やけにゆっくりと進んでいます。いくら待っても、シェパードの呼吸は弱々しく続いています。

 「もう麻酔薬が無いので、車に乗せて病院に連れていって処置をし、病院から葬儀社に送ることにしても良いですか」 正直にそう言いました。

 若い衆の一人が家の主人に聞きに行き、犬を車に運ぶことになりました。私に手を出させようとはせず、二人が黙々と運んでくれました。

皮肉にも、車の荷台に敷いたシートの上に横たえた時、シェパードは呼吸を止めました。

 深々と頭を下げる二人を後に、私は逃げるようにその家を後にしました。

往診料の他に、断ったにもかかわらず私の白衣のポケットに無理やり入れられた祝儀袋には、数枚の一万円札が入っていました。

 

1999-02-16

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