天狗の羽

 

 おはようございます。

 

私が芝居というものにかかわってからもう25年近く経ちますが、今でも年に一回は子供向けの芝居をやっています。一緒にやっているのは、学生時代に青森県の八戸というところで芝居をやっていた仲間です。

 

卒業後は全国各地にばらばらになっていたのですが、13年前に劇団の主催者夫婦の子ども達が通っていた千葉県市川市の小学校で芝居をやることになったのがきっかけで活動を再開したのです。その小学校には演劇部ができ、1年に1回その子達と一緒に芝居をやるのです。

 

 ある年『龍の子太郎』という芝居をしました。この芝居は25年前に八戸で初演して以来何度かやっている思い出深い芝居です。

 

 人数が少ないので、ひとり何役もやることになります。私の役は村人と天狗と鶏長者という老婆の役でした。天狗役は大学の同級生G君とのコンビです。 小学校での公演は、まずまずの成功。子ども達も喜んでくれました。

 

 その年の12月に同じ芝居を他の小学校でも公演することになり、練習に通うことになりました。練習と言っても、新潟から行くのですから、そう何度も行けません。一回の公演に2・3回行ければ良いほうなのです。病院の休診日、木曜日に小学校に行き、子ども達の授業中は大人の練習。行間休み、昼休み、放課後に子ども達との場面を練習するのです。

 

 演劇部の顧問は1年生の担任の先生でした。その先生が練習場にしていた視聴覚教室にやって来て言いました。

 

「給食の時間に、天狗の衣装で教室に来てくれませんか。来てくれたら、皆さんが前から食べたがっていた給食をご馳走しますよ」

 

 私とG君は20何年ぶりに食べる給食につられ、行くことにしました。結局他のクラスにも呼ばれ、3クラスを回ることになりました。

 

 こういう事のほうが、本番の芝居よりも緊張します。相撲好きの天狗たちがクラスに乗りこみ、先生と相撲か腕相撲をして負けて、次のクラスに逃げて行くという段取りにしました。

 

 最初のクラスの先生はノリが良く、鬼のお面まで用意して相撲をとってくれました。子供達も芝居を見てから1ヶ月も過ぎていないので、天狗の事を覚えてくれているらしく、大喜びです。最後のクラスでも予定どおり腕相撲で負け、給食をわけてもらうことになりました。

 

 子供達は興奮しているらしく、給食の間も次々と話し掛けてきます。先生まで、「天狗さん達はどちらから来たのですか?」などと、打ち合わせにない質問をしてきます。「黒鬼のいる黒がね山の隣の、天狗山じゃ!」などと適当に答えるしかありませんでした。

 

 給食は1年生用という事もあって量が少なく、あっという間に食べ終わってしまいました。

 

後で先生からこんな話を聞きました。一人の子が、天狗さんのカツラから落ちた羽を拾って、それを見ながらこうつぶやいていたのだそうです。

 

「天狗さん達、本当に来たんだね…」

 

2006-03-24

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