葉月会

おはようございます。

現在新潟には多くの神輿団体があります。新潟祭の宮入りには10基近くもの神輿が参加し、祭を盛り上げています。今では当たり前になっている神輿の団体も、昔からあったわけではありません。

 小学校時代からの友人のTの家に5・6人の友人が集まったのは、今から27年前、新潟祭が終わった8月の末ごろの事でした。

 当時の新潟祭は8月21・22・23日でした。祭が終わると夏も終わり夏休みも終わる、という時期だったのです。

「みこしを担がないか」突然そう言い出したのはTでした。

 それまでも新潟祭の民謡流しに飛び入りで参加したり、住吉行列にアルバイトという形で祭に参加したりしたことはありましたが、当時それ以外の形で一般市民が祭に参加する場は少なかったのです。行列に神輿もありましたが、それは商店街の神輿や子供神輿で、一般参加で担げるようなものではなかったのです。

 別に神輿でなくても良かったのかもしれませんが、皆何かやりたいと思っていました。

全員一致で神輿の会を作ることになり、さっそく名前を決めることになりました。

 その場にいた全員が一度も神輿を担いだことがなかったのですから、今考えるといいかげんなものです。

 名前だけはその場で『葉月会』と決まりました。

 わけもわからず商工会議所に登録し、会則も作りました。会長は白山神社の宮司さんになっていただきました。浅草で神輿を担がせてもらったりもしました。

 とにかく神輿を担ぐには人数が必要だということだけはわかりましたから、とにかく人を集めました。友人、知人、親戚と回りのたちに声をかけ、新聞にも募集記事を載せてもらいました。

 その甲斐あって、翌年の8月には80人以上の人が名簿に名前を連ねました。

 東京の大学に行っている人も多く、学生のサークルのような会でした。神輿自体より飲み会の方が中心のような会でした。

 1年目に担いだ神輿は白山神社からお借りした小さな子供用のものでした。小さな神輿を箱に載せ、それでも軽すぎるので人が乗りました。

 祭の3日間ひたすら担いで夜は宴会、民謡流しにも参加しました。打ち上げの会場は大騒ぎ。ビールかけまで始まり、会場には大変迷惑をかけてしまいました。

 2年目の祭が終わったころ、ひとつの転機がありました。役員のほとんどが普段は新潟にいないものばかりだということがネックになってきたのです。創立メンバー全員が役員を降り、新潟在住の人に役員をやってもらうことになりました。

 そんな風に始めた「葉月会」は未だに続いていますし、私も年に1回はみこしを担いでいます。

わざわざ会費を払って、衣装も自分持ちで重いみこしを担ぐのですから、端から見れば馬鹿な事と思われても仕方ないかもしれません。

どこが面白いのかと聞かれるとうまく言葉にできませんが、担いでいる全員が息の合った瞬間、それまで重かったみこしがスーと軽く感じられる、あの瞬間が好きなのかもしれません。

 

2005-11-18

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