ごあいさつ

おはようございます。これから半年間よろしくお願いします。

 

 先ほど簡単な紹介がありましたが、第1回目の今日は、もう少し自分のことを話しておきたいと思います。

 

 昭和30年代の初めに新潟市の下町に生まれ育ちました。当時の下町には、夕方になるとピヨちゃんという名の紙芝居屋さんがやって来ました。近所の公園には相撲の土俵があり、その土俵の脇が紙芝居の舞台でした。

 

 小遣いを持っている子は、カタ抜きやアンズジャムなどの駄菓子を買い、前のほうで紙芝居を見られるのですが、お金のないタダ見の子は後ろで見なければいけませんでした。

 

 近所には、『なんかやさん』と呼んでいた駄菓子屋や貸し本屋があり、いつも入り浸っていました。

 

 あまり親や周囲の人に逆らうような性格ではなかったと思うのですが、今まで二度ほど親に逆らったことがあります。

 

 一度目は学生時代に結婚したこと、二度目は青年海外協力隊員としてラオスに行ったことでした。

 

 協力隊に行くきっかけになったのは、妻の「いつ行くの。本当に行きたいなら行った方が良いよ」 という一言でした。

 

それまで何度か説明会には行ったことはあったのですが、なかなか決心がつかないでいたのです。

 

 派遣前には3ヶ月間、語学の合宿訓練がありました。始めは模様にしか見えなかったラオ語だったのに3ヶ月後には読み書きし話ができるようになっていたのですから驚きです。人間やればできるものです。一生のうちであれほど勉強したことはありません。

 

 ラオスは、まるで子供時代の新潟を思わせるようなところでした。私のいたサバナケットという町は車も少なく、街角では子供が遊び、おばさん達がいつも立ち話をしていました。昭和30年代の下町のように、いつ街角から紙芝居屋さんが現れてもおかしくないようなところでした。

 

 主な仕事は水牛や牛の予防注射や犬の狂犬病予防のはずでした。ところが、犬や猫を診られる獣医が来たという話が町中に伝わり、40度を越える暑さの中を50ccのバイクで一日中往診に回るなんてこともありました。

 

 日本でならまだ新米の私でも、その町では第一人者。困った事があっても誰にも聞けません。自分で工夫して、何とかするしかないのです。

おかげで、お金や物がなくても何とかなるという自信だけはついたような気がします。

 

 平成9年に新潟市の下町の自宅で、動物病院を開業しました。土地柄もあって、病院には実にさまざまな人がやって来ます。近所に買い物に行けば、見知らぬ人が「これはあっちの店のほうが安いよ」などと気軽に話しかけてきます。初めての人同士でも、まるで何年来の知り合いのような口のきき方ができる土地柄は今も昔も変わりません。

 

2005-10-07

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