演劇と私

 

おはようございます。今日はインタビュー風にお送りします。

 

 

そうですね。演劇は、20代の初めからずっとやっているんですよ…。

 

学生時代、神奈川で1年生を2回やることになりまして…。

 

そうするとだいたいやることは決まっていますから勉強はやんなくてもいいだろうと…。

 

それで、なんかやることないかなと友達に言ったら、そいつが演劇をやっていて、じゃあ来いよって誘われて、それでまあ始めたんです。

 

ある日練習所に連れて行かれたら、女の人が足を組んで、スパーとタバコを吸っていたんですよ。

 

東京の女の人ってすごいなって思ったんですが、今その人と結婚してるんですよ。

 

その頃は一応大人向けのミュージカルみたいなことをやっていたんですけど、獣医学部っていうのは青森に行くんですよ、5年間。

 

そっちに行ってからも東京のほうの劇団にも夏休みとかには行っていたんですけど、でも、青森でもやりたいなって思って…、

 

八戸っていう町が栄えている町としては一番近かったので、そこで今度は子供向けのミュージカル劇団みたいのに入ったんですよ。

 

すると、それがなかなか面白くて…。子供って反応が早いですから。

 

そこの劇団って子供と一緒に舞台に立つんですよ。

 

だから、こっちがちゃんとせりふを送ってやらないとセリフが出ないんですよ。子供ってスイッチを入れてやらないと動かないですから。

 

その代わり、一度スイッチを入れると、足を上げる角度まで一緒だったりするんですけどね。それがおもしろくてすっかり、はまっちゃいました。

 

そこをやっていた夫婦が転勤でいなくなって、その劇団は一応終わったんですけど、123年くらい前にその夫婦が千葉に引っ越して来て、そのとき昔やっていた人達がまたその辺に集まったんで、今度は市川の小学校でまた芝居をやり始めたんですよ。まあ、その夫婦の子供が通っていた小学校なんですけど…、

 

そうしたら、小学校なのに演劇部ができちゃって。そうするとその子達と一緒にやるようになるでしょ。そうすると、上が出ても下が入ってくるから、

毎年行かないわけにはいかなくなっちゃったんですよ。

 

この劇団で何回もやっていたのは、『龍の子太郎』っていう話なんですけど、

やっぱりこれには思い入れが強いですよね。

 

良く考えてみると、自分自身、新潟の図書館かなにかで、始めて指人形か何かを見た記憶があって、それが『龍の子太郎』だったんですよね。

 

大人が少ないんでいろんな役をやっているんですが、でも、一番ウケたのは鶏長者っていうお婆さんの役でしたね。鶏のようなけたたましいおばあさんの役なんですけど。

 

 今も1年に1回は演劇部の子供たちと芝居をやっていますよ。今年の10月にもやってきたばかりです。

 

 いつまでやるんでしょうかね。20代の頃には、まさか40代になっても芝居をやっているなんて想像もつきませんでしたけどね。

 

2005-12-16

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