カルチャーショック おはようございます。 「カルチャーショック」という言葉があります。 辞書を引くと、「自己の行動や考え方の枠組みを与える文化とは異なった文化に接した時に受ける精神的な衝撃」と書いてあります。 意外と思われるかもしれませんが、協力隊でラオスという国に行った時にはカルチャーショックと言えるほどの衝撃は感じませんでした。むしろ自分の子供時代の世界に行ったような懐かしささえ覚えました。 私が今まで一番カルチャーショックを感じたのは、高校1年生の夏休みだったかもしれません。 夏休みのある日、東京の高校に進学し夏休みで新潟に帰ってきたK君の家に友人数人が集まりました。 私たちは東京に行ったことはあまりなかったので、新潟の高校に進学した私たちにとっては、K君の話す東京での話は目新しいことばかりでした。 色々な話を聞いた後、K君が突然言いました。 「耳が長くてピョンピョン跳ぶ動物ってなーんだ?」 「え?ウサギだろ」 「ブー。ウ・サ・ギ」 私たちは、何がなんだか分かりませんでした。 畳み掛けるようにK君が言いました。 「前の反対は?」 「うしろ」 「ブー。う・し・ろ」 自分になまりがあると知った瞬間でした。 もちろん方言と標準語というものがあることは知っていました。新潟弁ということも知っていました。でも方言というのは単語の違いであり、アクセントは一緒だと思いこんでいたのです。自分は方言も使えるし、テレビに出てくるNHKのアナウンサーの人たちと同じように喋ることも出来ると思っていたのです。 実は、K君もかなり東京の同級生にからかわれていたのだそうです。 子供の頃ふとしたきっかけで落語が好きになり、小学校の頃には江戸っ子になって長屋に住むのが夢だった私にとっては、とても衝撃的なことでした。 方言というのは単語だけではなく、アクセントの違いでもあるという事は、私にとっての最大のカルチャーショックだったのです。 アクセントというのはなかなか直らないようで、学生時代に東京で芝居をやったときには栃木出身の人と福島出身の人がおり、「たまご」が象徴的に出てくる芝居の中で「たまご」、「たまご」、「たまご」の3つの発音が乱れ飛んでいたことがありました。 その高校時代の出来事に比べれば、ラオスと日本にはそれほどの差が無いと思えてしまったのです。初めから違うこともあるということを覚悟していたので、ショックを受けなかったのかもしれません。 言葉にしても常識にしても全員が同じという事はないのだと思います。違うという事を受け入れることが大事なのかもしれません。 |
2006-02-24